閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

613 長いこと食べてゐない

 もう長いことハンバーグを食べてゐない。わたしが云ふのは洋食屋のハンバーグで、マーケットで賣つてある湯煎なり何なりで食べるハンバーグではない。そんなにちがふのかと訊かれれば、それだけちがふのですと応じざるを得ない。乱暴に云へば挽き肉を捏ねて焼くだけなのに、洋食屋のハンバーグは實にうまい。

 遡るとハンバーグの原型はタタールに辿り着く。草原の騎馬集団ですな。ロシヤを蹂躙し、ヨーロッパに圧力を掛け續けたかれらは、騎馬人らしく馬に生活を依存してゐた。馬は戰闘機と貨車と通信網、それから糧食をも兼ねてゐて、何といふ合理性だらう。草原を駆け巡る生活といふ條件を含めても、家畜を使ふなら、かうでなくてはと思はされる。

 ただタタールの馬は食用として育つたのではない。糧食に転用するとしても、ざつと切るだけでは堅くて筋張つて、食べにくからうとは、騎馬人ではないわたしにも容易な想像である。丹念に筋を切つて、香草で下味を附け、時間を掛けて烹ればよささうなものだが、戰場で暢気に煮込み料理を作るほどの余裕はなかつたらう。

 そこでかれらが編み出したのは、細かく叩いて刻む技法であつた。これなら堅からうが筋張らうが、気にせずに済む。血の塩分はあるだらうから、匂ひ消しの香草くらゐは用ゐただらう。但し馬切り庖丁なんて調理用の道具を持つてゐたとは思へない。敵を斬り捨てた刀をそのまま使つたにちがひなく…どうも血腥い想像だね。どうも合理的とは呼びかねる。

 

 一方そのタタールから圧力を掛けられ續けたヨーロッパ…主に東欧人のしぶとさも大したものだつた。成る程ああやつて細片にすれば、獸肉を無駄にしないで済むぢやあないか。さう気が附いたのはたれだつたか。王宮出入りの料理人と考へるのが妥当なのは判るが、横丁の肉屋の親爺が肉の切れ端や屑を賣る為の工夫だつた、と思ふ方が愉快ではある。

 蕃族風の何々。

 最初はさう称したのではなからうか。この場合の蕃族呼びは、蔑視と同時に異國情緒も暗示しただらう。我われが南蛮と聞いた時、漠然と感じるエキゾチックな気分に近い。その蕃族風料理は当然、新奇好みを当て込んでゐるから、旨いかどうかとは別の値段だつたにちがひない。尤も料る側は

 「肉を細かく刻み叩く」

苦心と面倒を挙げて反論したらう。また蕃族風といつて野蛮なまま…タタールには失礼ながら…出すわけにはゆくまい。お客の趣味に適はせた洗練(たとへば馬肉を牛肉にする)が求められた筈で、その点は確かに同情の余地を認めてもいい。

 その蕃族風を今ではタルタルと呼ぶ。タタール方式くらゐの響きで、叩いて刻んで混ぜる(冷たい仕上げの)調理法を示してゐる。タルタル・ソースなんて、料理といふより旨い調味料であつて、タタールの食生活のどこに関るのか、丸で判らなくなつてゐる。これを騎馬人といふ特殊な生活の中で生れた調理…文化と呼んでいい…が東欧で普遍性を得て、文明に溶け込んだ結果と見るのは、文化と文明の関係を示すひとつの例になると思へる。

 

 仕舞つた。

 話を大きくする積りはなかつたのに。

 

 タルタルは文明である。と断定するのは併し誤り…不正確であつて、ヨーロッパ文明といふ"広範囲の文化"に溶けたと見ることも出來る。東洋…少くとも我が國の文明の中にタルタル式の調理は、近代まで無かつたからで、目の当りにした我われのご先祖はきつと、訝しんだらうな。この稿では不精を決めて、"近代日本の挽き肉史"を確めてゐないが、どうせ横濱辺から東京に這入つてきた外ツ國人か、その外ツ國人相手の商賣人が持ち込んだに決つてゐる。

 「どうやつて、料るンだよ」

その挽き肉を目にした茶屋の親爺は頭を抱へたと思ふ。従來の料理から転用し、調理法に応用を利かせるには、些か厄介な相手で、この際兎に角、ハンボルグ…明治の料理指南書だとこの表記だつたと記憶する…を

 「焼いてみるしかねえべや」

腹を括つたか、洋行帰りの料理人に教へを乞ふたか或は盗んだか、そこははつきりしない。ハンボルグを最初に味はつた日本人がたれかもはつきりしない。海軍軍人でなければ、東京の大學生でなければ予備門の若ものだつたのでは(前者は比較的早い時期から西洋式の食事を採用してゐたし、後者はまあ云ふまでもない)と思ふが、實際のところは、どうだつたのか知ら。タルタル史家のご教示を待つ。

 日本では百年と少しでハンボルグがハンバーグへ、西洋料理が洋食へと変貌を遂げた。挽き肉の捏ね方だの焼き具合、ソースの味附け、附けあはせの野菜、さういつた條件はその間に我われ好みへと調へられてきたと云つていい。"我われ好み"がごはんに適ふことを示してゐるのは念を押すまでもなく、ハンバーグが捏ねた挽き肉をふはつと纏めて焼く料理になつたのは、さういふ(歴史と嗜好の)背景があつたからで、さういふ背景を舌と鼻と目で感じるには、洋食屋へ足を運ぶに限る。もう長いこと、食べてゐないけれども。