月の名を題に含む唄で、一年分を並べられるだらうか。
目覚めのMarch(高野寛)
五月を忘れないで(斉藤由貴)
八月の唄(浜田省吾)
September(竹内まりや)
November Rain(甲斐よしひろ)
思ひ浮ぶのはこれくらゐで、完成は六づかしさうだ。
いやもうひとつ、甲斐バンドのこの一曲を抜かすわけにはゆかない。上に挙げたのは半ば冗談として、佳曲名曲の多い甲斐バンドから撰んだのは、十月がわたしの誕生月だからといふのが、一ばん大きな理由になる。なんて莫迦ばかしいと笑はれるのは解るが、気になり、叉気に入る歌の切つ掛けとしては、この程度の単純さもありさうに思へる。
尤もこの唄は、残念ながら、ハピー・バースデイを聯想させてくれない。終つた恋を悲しく美しく、女々しく思ひ出してゐて、甲斐よしひろの描く歌詞は、時に意外なほどマチズモから遠いところにある。
と書いてから、待てよ女々しさと呼ぶのは、誤りかも知れないとも考へた。この唄もさうだが、「Blue Letter」にせよ「安奈」にせよ、自分の我が儘勝手で別れた女を懐かしがつてゐて、詰り女々しいでは字面があはない。うまい云ひ廻しが見つからないのだが、男に特有の湿つぽい情けなさなのは間違ひなく、甲斐はそれを美しい情景や思ひ出の欠片で、まつたく巧妙に彩る。
深い秋の月の夜、溜め息と蜜を注いだグラスを置いて、静かに聴くのに相応しい…と思ふのは、十月の月に眩惑されたであるかも知れない。