最初に買つたカメラはキヤノンのEOS1000QDで、EF35-80ミリレンズが附いてゐた。その後にシグマの70-210ミリを手に入れた。シグマを撰んだのはEFレンズより廉価だつたからで、70-210ミリにしたのは第一に素人が陥る"望遠レンズ"指向にわたしも陥つたからで、同じシグマの75-300ミリを買つた友人への妙な対抗心が第二の理由である。かういふ勢ひは怖いもので、その後に400ミリまで買つた。使ひこなせる筈もないのに、知らないとは大胆の種になる。暫くして望遠レンズは使ひにくいと悟つたので、24ミリを買つた。小振りな広角レンズで相当に寄れたのがその動機。同じ時期に28ミリの大口径もあつたのに、何故そちらを撰ばなかつたのか、今となつてはよく判らない。
要するにわたしの撮影のごく初期に、シグマ・レンズは密接してゐたことになる。但しシグマでなくてはならないといふ積極的な理由があつたのではなく、偶々最初がさうだつただけで、それがタムロンやトキナーになつてゐた可能性だつて考へられる。刷り込みといふのは恐ろしい。
そのシグマから距離を置きだしたのは、大口径化…高級化の方向がはつきりしてきた頃だつたと思ふ。価格云々はさて措き(と云へるくらゐに、お財布の余裕は出來る年齢となつてゐた)、ライン・アップが大柄なレンズで占められたのを見て、困つたなあと感じた。それを持ち出す自分が想像出來かねたからである。尤もその傾向をシグマ一社に押しつけるのは不公平で、タムロンもトキナーも、勿論キヤノンも、同じ方を向いてゐたし、今もそれは変るまい。
「大きくて重くて、取回しが少々不便でも、それに値する冩眞が撮れれば、喜ばしいぢやあないか」
といふ意見は傾聴するが、さういふ体力的な苦辛を受け容れて撮りに行きたいと、二六時中思へるわけではない。撮るかどうかは判らないけれど、鞄にはふり込んで、気が向けば撮るのもまた、カメラの使ひ方の筈で、そんな時に"大きくて重い、併し高品位な仕上げのレンズ"を附けておかうと思へるものか知ら。職業冩眞家ではないわたしには、その辺りが不可解である。
簡単に云ふと、中口径小口径のレンズがもつとあつたらいいのにな、と思つてゐる。28ミリF3.5や35ミリF2.8、或は24-35ミリF4-5.6…このくらゐの仕様なら、現代の光學設計で實に簡単な解を導けるにちがひない。そんなの
「設計や製造は樂かも知れないが、どうしたつて儲けにはならないよ」
「"撒き餌"レンズが精々だらうねきつと」
さうなのかなあ。と思ふのは(ここで話がシグマに戻る)、手元にマイクロ・フォーサーズ対応の30ミリF2.8があつて、幾らで買つたかは失念したけれど、ほどほどに使ひ勝手のよいレンズだからである。構造上、カメラの電源を入れて、撮影出來るまでに三秒前後の間があるのは、咄嗟に撮るひとには致命的な欠点になるだらうが、こちらには無縁の問題。ライカ判で60ミリ相当の画角は好みの分かれるところか。注視する感じはわたしにとつて惡くない。それなりに寄つて撮れもするし、忘れるほどの値段だつたことを思へば、文句を云ふのは筋ちがひといふものだ。残念ながらこのレンズは製造が終り、F1.4の明るいのに置き換つてゐる。急いで念を押すと、明るいレンズが駄目なのではなく、F2.8を残した展開をしてほしかつたなあと思ふのだ。
ここでわたしの頭に浮ぶのは全盛期のニッコールで、50ミリ近辺にF2とF1.8とF1.4があり、マイクロ55ミリがあり、ノクト58ミリがあつた。予算と目的で撰べる点で、驚歎に値する贅沢さであつたと云つていい。ならニコンに求める話ではないかと云はれるかも知れず、さうだなとも思ひはするが(ニコンがシリーズEのレンズに目を瞑り續けてゐるのは、十年來の疑問であり、不満でもある)、令和の今、さういふ事を出來る…やらかすと云つてもいい…だらう会社がシグマしか浮んでこないのだもの。儲けになるかどうかとは会社にすると大した問題である…それが確かなのは認めるとして、レンズ・メーカーは、レンズを交換して撮れる冩眞が異なるといふ樂みを提供する会社でもある。あくがれに足る超高性能な一本も勿論、作つてもらひたくはあるが、小さく軽く暗いといふのは、持運びに苦辛が無い一点で、裏返しの性能と見立ても出來る。玩具的ではない、さういふ方向のレンズ群をシグマに期待するのは、無理難題なのだらうか。