閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

856 新幹線で食べるものの話

 先日、新大阪から東京まで、東海道新幹線に乗つて、玉子のサンドウィッチと罐麦酒をやつつけた。やつつけながら、新幹線に一ばん似合ひの組合せではないかと思つた。こだま號なら知らず、のぞみ號は

 「高速に移動する為の手段」

の色合ひが濃くつて、ゆるゆる呑みまた食べるには落ち着かない気がする。

 かう書いて思ふのは、数年無沙汰をしてゐる特別急行列車のあずさ號で、こちらは新宿から甲府まで二時間足らずで走る。のぞみ號の新大阪東京間より乗車の時間は短い。短いのに、お弁当をひろげ、罐麦酒は勿論、葡萄酒の半壜も平らげないと、気分が収まらない。この場合あずさ號は

 「甲府まで素早く移動する手段」

ではなく、甲府での樂みを熟成させる樽のやうな乗りものなんである。罐麦酒や葡萄酒やお弁当はその樽の材料といつてよく、詰り優劣とは別に、のぞみとあずさは違ふのだな。

 あずさ號に乗る機會は改めて作る。

 またこちらも改めて云ふと、(こだま號は例外として)新幹線で食べるなら、いはゆる軽食(と罐麦酒)が似合ふ。ここで云ふ軽食は

 「片手でつまめる」

程度の意味合ひで、ホークか爪楊枝でちよと刺せる辺りまで範囲を広げてもいい。さう考へた時、サンドウィッチを"片手でつまめる"代表格に挙げるのは、無理のないところではなからうか。

 おにぎりだと麦酒にあはしにくく、豚まんは辛子醤油が欠かせない。新幹線に持ち込める程度のハンバーガーなら、コーラをあはすのが本筋だらう。焼鳥は魅力的だけれど、新大阪驛でも東京驛でも賣つてゐるのを見たことがない。ただ仮に賣つてゐても、買ふのは躊躇はれるだらうとも思ふ。要するに見栄の問題である。新幹線の車内で焼鳥を片手に麦酒を呑んでゐたら、周囲のお客から

 「あのひとは駄目なひとだ」

と思はれるのではないかといふ不安があつて、ことに隣が妙齢のお嬢さんだつたら、余計さう感じるにちがひない。實のところ、そんな風に見られる心配はまあ無い筈なのに、不安を感じるのは無用の見栄の為せるところだらう。

 さう考へると、サンドウィッチに罐麦酒の組合せは無難ではないか。新幹線で麦酒を呑むのは珍しくもなく、その横にハムやチーズ、玉子と胡瓜とトマト、或はビーフかポークのカツレツ、叉はポテトやマカロニのサンドウィッチがあるのはごく自然でもある。

 「その自然さが怪しい」

さう考へるのは、余程に疑り深い讀者諸嬢諸氏でなければ、ムシュー・ポワロくらゐの筈だし(かれの忠實で勇敢な友人であるヘイスティングズ大尉の目には、きつと止まらないだらう)、名探偵と同じ列車に乗るとしたら、イスタンブル發のオリエント・エクスプレスくらゐしか有り得ない。私の余命でイスタンブルまで行く機會には恵まれさうにないから、新幹線では安心して罐麦酒とサンドウィッチをやつつけることが出來る。