閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

792 おまかせ円盤

 当人から聞いたわけではないが、外ツ國の客人が日本の料理屋で驚くのは、品書きに

 「おまかせ」

があることださうだ。何だこれはと思ふらしく、気持ちは判らなくもない。何が出されるか、適正な値段なのか、そもそも美味いのか、見当がつかないんだもの。わたしだつて(きつと貴女もさうでせう)フランスのア・ラ・カルトや中華の点心なら兎も角、アメリカンなレストランに"おまかせ"があつても、註文する度胸は持てない。

 料理する側の自信と誠實。

 食べる側のお店への信用。

 両方…材料を吟味し、調理に手を掛けて出すのと、出てきた一品一品を、丁寧に味はふのが…重なつて成り立つのが、本來の"おまかせ"である。テンプラ・レストランは知らず、天麩羅屋で"おまかせ"を頼んで、海老フライや鶏の唐揚げやとんかつは出ないでせう。話がちがふ方向に進みさうだ。

 まあ、いいか。

 本來でない…云つてしまへば安直な"おまかせ"も勿論あるからで、呑み屋の品書きに見掛ける

 「何々のおまかせ何点盛り」

といふのがそれ。たとへば"お刺身のおまかせ四点盛り"と云へばいいか。ここで念を押すと、安直と不味いは結びつくとは限らない。余談混りに實例を挙げると、田町に今は閉店したチェーンの某居酒屋があつて、そこの"刺身四点盛り"は、おまけがありますと称して、六点で出されるのが常だつた。仕入れが上手だつたのだらう、八百円くらゐだつた筈だが、値段以上のお刺身を食べることが出來たのは、何年も前の話である。余談終り。

 もつと安直な"おまかせ"なら、串焼きの類だらうか。はらみでもぼんじりでもせせりでも、タンでもレバでも葱でも獅子唐でも、何本かを纏めて註文し(詰り分量は自分で決めるのだな)、焼き方を"おまかせ"する方法がある。大体はたれか塩になるが、時に味噌を用ゐるお店もあつて、自慢と云ふのか自信の顕れか。何をどうするのか知らないが、色々と調へるのだらう。辛みが効いたり、甘みがあつたり、味噌自体も一種の摘みになる。味噌の話ではなかつた。

 バラエティに富む点だけに目を向ければ、肉と内臓と野菜と魚介がある串焼きの"おまかせ"は、中々莫迦に出来るものではない。塩やたれ、味噌にもそれぞれ味の相違があつて、組合せを含めるともしかして、天麩羅といい勝負が出來るのではないか知らとも思へてくるが、流石に関係無関係各位から、烈しく咜られるだらうから、こつちは取り下げる。取り下げつつ、あれこれを撰ぶのすら面倒で、且つ多少の我が儘を云へる程度のお客になつてゐたら

 「ここは三本。おまかせで」

と註文する手もあると思つた。品書きに"串何本おまかせ"とあれば一ばん樂なのは云ふまでもない。それで出てきたのが画像。やや下品に寄つた…とはこの際、褒め言葉…濃いめのたれと味噌は酎ハイに似合ひの味であつた。かういふのだつたら、外ツ國の客人を招いて

 「オマカセを奢るよ」

と驚かしても、お財布の心配はきつとしなくて済む。まことに安上りな円盤と云つていい。