閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

848 丸太花道、西へ~儀式

 西へ上る。

 東海道新幹線に乗る。

 ここまでは決めてある。

 のぞみ號に乗るかこだま號にするかは、この時点で決めかねてゐる。

 

 のぞみ號は速い。便利で宜しい。

 東京新大阪間を移動と見立てれば、のぞみ號である。

 こだま號は遅い。悠々と出來る。

 樂む時間と考へたなら、こだま號が望ましいとなる。

 

 例年なら"走る居酒屋 こだま號"を開店させる運びなんだけれど、あくまでも習慣である。開店させねばならぬ事情だつたり義務だつたりがあるわけではない。

 

 かう書いてから不意に気が附いた。

 ひかり號を忘れてゐるではないか。

 

 少年の丸太にとつて"新幹線"は、ひかり號と同じ意味だつた。乗車は新大阪から岡山か名古屋までの一時間ほどで、あれはまつたく、特別な一時間だつた。

 何年振りになるか忘れたが、乗ると決めてひかり號に乗るのも惡い思ひつきではあるまい。ひとまづは時刻表をじつくり調べねばなるまいと考へを改めた。

 

 とは云へ實のところ、のぞみ號こだま號ひかり號のどれを撰んだつて、決定的なちがひは生じない。乗車時間と乗車する時間帯によつて、何を呑みまた摘むかの撰択は変るけれども、そこも含めて迷ふのは儀式(のやうなもの)である。

 なーんだ、儀式か。

 と鼻で笑はれてはこまる。その儀式を経て、西に上る實感を得られるのだ。たとへばね、葡萄酒を呑まうとする時、キルクの匂ひをかぎ、更にグラスをゆらりとさして、香りを確めるでせう。正確に云ふとあれは確める眞似…儀式に過ぎないが、それで葡萄酒が美味く感じられるなら、眞似をしたい儀式であるし、儀式の一点で新幹線を撰ぶのと葡萄酒の香りを確める(ふりをする)のは同列といつていい。