閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

857 おにぎりを食べる時の話

 コンビニエンス・ストアやマーケット、或はおにぎりを専門に扱ふお店のおにぎりを不意に食べたくなる時がある。専門店はまだしも

 「マーケットやコンビニ程度の量産型おにぎりが、そんなに旨いものかね」

と冷笑を浮べられたら、まあその通りだと応じるけれど、さういふことを云ひ出したら、亡き祖母が幼少の私に作つてくれた、味つけ海苔を巻いた俵型の小さなおにぎりが世界で一ばん旨いに決つてゐる。

 

 祖母には遥かに及ばないのは確かとして、併しマーケットや専門店のおにぎりだつて、決してまづくはない。小腹が空いた午后、口寂しさへの手当として、おにぎりほど似つかはしい食べものもあるまい。

 この時に限れば麦酒は要らない。(ちよつとした)空腹を素早く、且つ確實に満たす一点に集中してゐるからで、見方によつてはこれこそ

 「食事の純然たる姿」

であるかとも思はれる。勿論酒精と共に成り立つ食べものこそ、純然と見立てることも不可能ではないし、私じしんはそちらに与したくもあるけれど。

 

 おにぎりには先づ、緑茶か玄米茶が慾しい。

 出來ればちよいと、おかずも添へて慾しい。

 

 そのおかずを何にするかは議論の種になる。

 鰈の煮つけ。

 厚焼き玉子。

 たくわんか胡瓜の淺漬け。

 代表格はこの辺りで、焼きソーセイジかベーコンを追加してもいいだらうか。そこにお味噌汁を用意すれば、もう立派な御馳走である。それは流石に大袈裟だし、準備も手間だなあと思ふなら、具をどつさり入れた豚汁(叉は粕汁)にすれば解決する。或は空腹の具合で、お豆腐と油揚げのお味噌汁を撰ぶ方法もある。

 さう。大事なことをひとつ。

 おかずや汁ものを用意する場合、おにぎりは簡潔な方が好もしい。海苔巻き、胡麻塩、後は梅干しが精々か。具に凝つたおにぎりが駄目とは云はないが、あれはナイフとホークで食べるハンバーガーのやうで、旨いのはうまいのに、何かどうもちがふ感じがする。ここで云ふちがふ感じとは、漠然とした違和感だから、踏み込まないでもらひたい。

 

 ところで上に挙げた鰈と玉子焼きは、祖母が用意してくれた献立である。もう一ぺん、食べさしてほしいが、その為には西方へ行かねばならない。顔を見せたら喜んでくれるのは間違ひないとして、余りに早々行つたら、こまらせてしまふのも間違ひない。祖母に甘やかされた孫としては、祖母をこまらせるのは避けねばならず、まことに悩ましい。