閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

861 七色の話

 寛永年間といふから、十七世紀の中頃…江戸時代の初期に両國は藥研堀で生れたらしい。因みに云ふ。藥研とは藥剤を粉末に挽き、或は擂り潰すための道具。お堀の名前になつたのは、その形状が道具に似てゐたからださうな。

 

 唐辛子。

 焼き唐辛子。

 山椒。

 麻の實。

 黑胡麻

 陳皮。

 芥子の實。

 

 藥研でさういふのを粉末にして混ぜあはした調味料が七味唐辛子。但しさう呼ぶのは上方。江戸の呼び方は七色唐辛子ださうで、江戸風の厭みと見ればいいのか、洒落つ気と理解するのが正しいか。ここからは七味唐辛子で通しますよ。

 

 七味唐辛子が中々便利な上、惡くはないと気がついたのはごく最近である。そもそも私は唐辛子をさほど、好まない。からいのは苦手だし、うつかりすると味だけでなく、口の中まで全部、唐辛子に染つてしまふ。なので七味唐辛子も遠ざけてゐた。無理のない態度ではあるまいか。

 その距離が縮つてきた切つ掛けが何だつたのか、自分でも判然としない。勿論それまでまつたく使はなかつたわけではなく、たとへば立ち喰ひのかけ蕎麦、安呑み屋のもつ煮にぱらぱら散らしたり、マヨネィーズにちよいと振つて焙つた下足をやつつけるくらゐはしてゐたから、気づかない内に、馴染んだのだらう。

 もうひとつ、唐辛子を除いた六味が案外、唐辛子のきつさを巧妙に押し止めてゐると思へてきた事情もある。またもつ煮に振つた時に顕著なのだが、香りがふはつと立つて、これがまつたく惡くないと判つた。要はにぶかつた…とは嗅覚ではなく、香辛料の使ひ方が無頓着だつたといふ意味で、ええ反省してゐます。

 

 それでここ暫く、七味唐辛子を使つてゐる。たとへばおでん。或は饂飩や蕎麦。偶に食べるカップラーメンの味噌味。はららと散らす程度で納めたら、ちよつとした刺戟と香りの変化が感じられる。私が使ふのは壜入りのやつだが、會社によつて微細なちがひ…調合のちがひだらう…もあつて、如何にも藥研堀生れ、遠い親戚に藥があるのだなと思はれる。

 實際、上に挙げた唐辛子以外の六種は地域やお店で異つてゐるし、粉末の具合だの混ぜ具合だのの秘傳が無いと考へる方が寧ろ不思議である。更にお馴染みさんの註文に応じて混ぜる比率を調へたりもした筈だから、一口に七味唐辛子と云つても、味はひに様々のちがひが出るのは当然といへる。詰り七色には二重の意味があることになつて、藥研堀の聯中の粋と云はねばならない。