閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

867 お摘みの話

  呑む時にはお摘みがないと落ち着かない。尊敬する吉田健一は晩年、珍味佳肴を前に盃を重ね、どうぞお召し上りをとすすめられても

 「大丈夫です。見れば美味いのは解ります」

さう云って殆どお箸をつけなかったそうで、喰いしん坊もここまで到ると、羨ましくなくなってくる。もうひとり、中島らもというアルコール中毒者兼作家は、呑み屋で註文した蒟蒻の何やらを睨みながら呑み續けたという。中島の蒟蒻は恰好を調えるための註文で、同行者がお箸をつけると

 「喰ったら減るやないか」

と怒りだしたらしい。こっちも羨ましくない。矢張り呑む時には、蒟蒻でも珍味佳肴でも摘むのが、望ましいよ。

 時折り足を運ぶ立呑屋があって、そこはカウンタに五つか六つの鉢が置いてある。煮物、和えもの、焼きもの、炒めもの、或は酢のものやお漬物の類が盛られていて、好みのお摘みを撰ぶのだな。呑む順序(麦酒から始めてお酒に移るか、酎ハイやサワー類で押し通そうか)を考えつつ、またお腹の具合を踏まえつつ

 「厚揚げと鶏を焚いたのと、鰆を焼いたの、それから胡瓜と塩昆布を和えたやつ」

などと註文する。時にお勧めがありますよと云われることがあって、余程にがてでなければ、そっちにする。勿論、眺めて満足する筈はなく、食べたら減ると腹を立てもしない。

 このお店だと基本は三品だが、お代りは出來るから、気に入りの追加をお願いしてよく、別の一品を試してもいい。そこを迷うのも呑む樂みで(そこに呑む方のお代りを迷うのが含まれるのは云うまでもない)、こういう時おれは

 (お酒とお摘みの豊かな國に生れてよかったなあ)

と思う。イタリーやフランスに、骨つき鶏を煮込んだのと焙った鯖に檸檬を搾ったのと玉葱の酢漬けで、あわせるのはヴィーネかビアかジャポネーズ・サケか、迷う樂みを味わえる場所は、あるとしても限られていそうに思える。まあ、ある國ある地域ある土地の酒精は、その國その地域その土地に醸され(或は蒸溜され)、國地域土地の食べものと一緒に育てられたと考えれば、その方が寧ろ当り前といってよく…堅苦しい話はさて措き、厚揚げでも骨つき鶏でも

 「やあこれは旨そうだ」

と悦ぶ場所が立呑屋なんであると断じて、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏から異論は出まい。

 

 と、ここまで書いたら、何だか落ち着かなくなってきた。

 お摘みをお供に、落ち着いて呑むことにしよう。