閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

984 与太話、鶏の皮

 水戸の御老公こと徳川光圀は、鮭が大好物だつた。就中、皮を殊の外このみ、一寸厚の鮭の皮があれば、何万石かと交換してもいいと云つた由。實際にあつたら、水戸はたいへん困窮しただらう。尤も『大日本史』の編纂といふ壮大な無駄遣ひに較べれば、ましだつたらうなとも思へる。

 一体あのひとには、どうも生眞面目に凝り固つた儒者朱子學者の印象がつよくて、好感を抱きにくい。愉快な逸話の記憶がないからだらうか。日本史上、最も早い時期に拉麺を食べたらしい(再現冩眞だと、汁と麺に幾つかの藥味を添へた、拉麺とは異なる麺料理に思へる)と云つたつて、それきりでせう。何とも詰らない。

 そのどうにも生眞面目で何とも詰らない男を、併し無視し辛いのは、皮がうまいと見抜いてゐたからで、解つたやつだと思ふ。御三家大名の食生活が、どんな風だつたか。光國は鮭皮に舌鼓を打つ機會に、中々恵まれなかつたらう、と想像しても間違ひあるまい。ああいふ立場の人びとの食事は、栄養より、儀式的な意味合ひが濃かつた筈だから、そこで鮭の皮のうまいのに気づいたのは、慧眼と云つてもいい。

 ところで皮がうまいのは、何も鮭に限つた話ではない。皮とその直ぐ下の膏が喜ばしいのは、他の魚でも同じだし、鳥獸もまた例外ではなく、嘘だと思ふなら、鶏の皮を摘めば解る。嚙んだ感じがねえと、眉を顰めるひともゐるだらうが、(あの食感…と呼べばいいのか…が獨特なのは、同意を示したい)上手が焼き、或は揚げた鶏の皮は實にうまい。油と膏と肉の感じが、焼酎のソーダ割りや水割りに、素晴しく適ふ。

 残念ながら、鮭の皮好きの老公が、その鶏皮を味はふ機會を得なかつたのは間違ひない。当時の食用の鳥肉格附けで云へば、鶏の地位はまことに低かつた。曖昧な記憶で云ふと、鶏は朝告げだつたかの理由で、神聖視され…食用と見なされてゐなかつた。おそらく明治以前、鶏肉に馴染んだのは、薩摩だらう。あの南國の豪勇聯は、徳川三百年の更に前から、鶏を啖つてゐる。その皮をねぶり、骨を噛み砕いて精気を得た豪の者たちが十九世紀に到り、鮭の皮好きをご先祖に持つ水戸と争つたと思ふと、歴史の妙味を感じられる。

 …などといふ与太話は兎も角、鶏の皮を廉に味はへる令和は、まつたく有難い。