閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1133 あやふや

 今となつては、知らないか忘れたひとの方が多からうとも思へるのだが、曾てソヴェト聯邦といふ國があつた。正しくは、ソヴェト社會主義共和國聯邦、略してソ聯…ここからはソ聯表記を主にしませう。

 子供心には、色々不思議だつた。ソ聯なのに"ソヴェトといふ名前の國"は無いし、聯邦共和國ではなく、共和國聯邦だつたし、國の一ばん偉いひとの肩書が、首相や大統領ではなく書記長だし、戰闘機がいきなり飛んでもきたしで、それらを簡単に纏めれば、あやふやの一言に尽きたし、今も案外その印象は変らない。

 軍事もさうだが、光學でも隠れた大國であつた。顕微鏡や望遠鏡や測距儀。それから冩眞機にレンズは、重要な先端技術だつたから、ソ聯が力こぶを作らうとするのも、無理のない事情だらう。地力の有無は別として。

 思はせぶりな云ひ方になつたが、こと冩眞に関はるソ聯の技術が、褒められたものでなかつたのは間違ひない。獨創が模倣から始まるのは、技術の常として、ソ聯の場合(私の知る限り一ばん古いのは)、ライカⅡ型の模倣…ライカ史だけでなく、冩眞機史を俯瞰しても、重要な位置を占めるのは間違ひない…だつたから、いいところに目はつけた。その模倣が不完全で粗雑だつたのも、止む事を得ないと云つてもいい。併しその後、ちつとも獨創に進まなかつたまま、ソ聯の崩壊に伴つて終焉に到つたのは、どんな屁理窟を駆使しても、擁護出來る自信がない。

 当時の光學技術で、世界の第一流だつたドイツを敗かした後、その接収を図つたのはいいんだが、機械をごつそり運び出して満足してしまつた。競争相手のアメリカが、技術者を引き抜いたのと、対照的である。機械を持ち出したのが惡いとは云はないが、その機械は扱ふだけでなく、常々の整備を欠かしてはならんことを、ソ聯人は知らなかつたか、理解してゐなかつたか。それくらゐ雑作もないと、たかを括つてゐたとしたら、根拠のない自信は怖いねえと応じたい。

 ここまで書いて、四半世紀くらゐ前、フェドかゾルキー、或は両方を贖つたのを思ひだした。使ひ勝手がよろしくないのは予想通りな上、雑な造りでもあつた。眞面目に使ふ為でなく、笑ひをとる目的だつたのは確かである。笑ひをとれたら、直ぐに飽きて、手放した。尤もソ聯光學だつて、一から百まで莫迦にしたものではなく、レンズの一部…たとへばジュピターやルサール、ゾディアックは、十分に使へるちからがある。ソ聯のレンズ(だけではなからうが)は、併し当り外れが大きい。生産量が月々で計劃的だつたから、月末近くになると、帳尻を合す為、やつつけ仕事になつた…といふ噂を聞いたことがある。本当だつたかどうか、保證はない。何しろソ聯は、あやふやで曖昧な國家だつたから。

 一方で、いい加減な造りの"冩らない製レンズ"は、現代の(少数の)数寄ものに、好まれさうな気が、されなくもない。ソ聯レンズを使ふ為の、デジタルカメラがあれば、特定の層が贖ふのではなからうか。これはあの國と同じやうに、あやふやな考へなので、信じてはいけない話である。