閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

031 西へと上ること

 某日、帰省の為に新宿のJTBで“ぷらっとこだま”のチケットを買ふ。10,500円。12月24日の13時56分東京驛發こだま661號。喫煙車輌の2人席通路側。新大阪驛着到は17時50分予定。4時間ほど掛かるけれど、350ミリリットルの罐麦酒1本または170円を追加して187ミリリットルの葡萄酒への引換券附きだし、急ぐべき理由があるわけでもないので、これでよい。新大阪驛からの乗り継ぎと徒歩を含めると、帰りつくのは19時前後といふところか。
 これで大まかな予定を立てる。午前中は余裕があるから珈琲を喫して洗濯をする。汚れものを残さずに年末を〆るのは惡くない。問題はお午でこだま號の發車時刻から考へて、新幹線に乗つて食べるとすると、14時30分くらゐになりさうで、何故半時間の空白があるのかと云ふと、食べ始めるのは新横浜驛を過ぎて、出來れば熱海驛も過ぎてからにしたい。發車前にお弁当の蓋を開け、品川驛辺りで既に食べ終り、新横浜驛に近づく頃には眠り込むひともゐて、それは仕事人として望ましい態度なのかも知れないが、こちらは帰省である。わざわざ“ぷらっとこだま”を撰んだんである。であれば旅行風に愉しむ方がいいに決つてゐて、それなら東京から離れたといふ気分になつてから食べるのが好もしい。中央線の特別急行列車でお弁当をやつつけるのは三鷹驛を過ぎてからと決てゐるのと同じ事情である。但しさうすると時間帯が如何にも中途半端になつて仕舞ふ。
 そんなら乗車前に食べておかうか。これも惡くない。新幹線に持ち込むのは罐麦酒と葡萄酒とつまみ。途中で足りなくなつても、5分停車の間にちよいと買へもする筈だから不便を感じはしないだらうし。では仮にさうするとして、予め何を食べればいいか知ら。眞つ先に浮んだのは(立ち喰ひ)蕎麦で、括弧書きが示すとほり立派なお店でなくていい。立派でなくていいなら、カレーライスにハンバーガー、牛丼やラーメンの類でもかまはない気はするが、何とはなしにしつくりこない。かういふ何とはなしの気分は大切で、しつくりしないままだと、腹がふくれても満足には到らない。實際のところは当日に任せざるを得ないとして、この時点では乗車前に食べるなら空腹の度合ひにあはして、たぬき蕎麦とかつ丼を候補に挙げておく。
 かう書いて気がついたのだが、両候補は案外なほどに東京の食べものではないだらうか。代表を争へるかとなると、鰻と天麩羅とにぎり鮨には及ばないが、撰手権があつたら、ベスト8入りは確實だらう。たぬき蕎麦では無理かな。まあ蕎麦全般と見立てればいいでせう。それで考へると(たぬき)蕎麦またはかつ丼を喰ふのは年の終りに東京を腹に入れて新幹線に乗るといふことになる。これは錯覚でもあるんだが、驛弁当よりちよいと洒落が感ぜられると強弁出來なくもない。乗つて仕舞へば後は旅行の気分になるのだから、サンドウィッチでもチーズでもピーナツでも、あられやお煎餅やチョコレイト、或は罐詰辺りでも気にしなくてかまはないだらう。
 そこで残るのは引換券の罐麦酒以外に何を呑まうかといふ問題。何しろ引換券の罐麦酒は350ミリリットルだからとても4時間を乗り切れる量ではない。だから500ミリリットルを1本。2本だとお手洗ひが近くなり過ぎるし飽きもする。阿房列車を気取るなら、魔法壜に入れたお燗酒になるのだが、魔法壜を入手してお燗を入れて持ち出すのも面倒である。それに新幹線では冷やでもお酒は似合はないよ。なんだねその理窟はと呆れられる可能性はあるし、そのご指摘は正しくもあるのだが、さう思はれてならないのだから仕方ないんです。なのでここは葡萄酒にしたい。お酒は駄目で葡萄酒ならいいのかといふ疑問は残るが、お酒よりは納得し易い。ハーフ・ボトルでもよささうに感じなくはないとして、周りのお客に変な顔をされさうな危惧がある。小壜を1本か2本にしておく方がきつと安心だらう。これくらゐの量だつたら新幹線の車内で存分に樂しめて、降りた後の酔ひも薄いにちがひない。