閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

180 気取りと居直り

 ウェブログのサーヴィスといふか、機能と呼べばいいのか、その辺はよく分かりません。カテゴリとかタグとかの話。わたしはまつたく使つてゐません。先々をどうするかは見当がつかないとして、さういふ機能乃至サーヴィスが有用になるとしても、おそらく五百…いや千回くらゐ續いてからだらうと思つてゐます。といふより打ち割つたことを云ふと、千回が万回になつても、カテゴリだのタグだのが有効に働くのか、甚だ疑念を感じざるを得ないのです。勿論かう云ふと、たいへん便利に使つてゐますよと聲は出てくるでせう。活用することで、たくさんのひとと繋つてゐます。成る程、さういふ使ひ方があるんですねえ、と一応は、感心しておきませうか。併しさういつた使ひ方をしなくてはならない理由はありますまい。そんなにまでして、赤の他人と繋がりたいのか知らと不思議でなりませんし、第一、書く時にこれは何々のカテゴリだとか、何々のタグだとか、考へるものでせうか。或は先にそんなことを考へ、また決めるのでせうか。それが駄目だとは云はないにしても、どうも本末転倒の態度でなからうかとも思へてきます。この手帖は今回を含めて百八十回になりますが、ごく一部を除けば、カテゴライズは無理だなあと云はざるを得ません。それはさういふ書き方をする丸太の責任だと云はれるでせうか。そこは正しいのを認めるとして、ではカテゴライズの容易な書き方をすればいいのかと考へれば、そんな阿房な話はないものだと直ぐに解るでせう、さうにちがひありません。将來、閑を持て余した分類マニヤがこの手帖を引つ繰り返し、ああだかうだとカテゴリ別けする分に文句は云ひませんし、どんな分類になるのかも気にはなりますけれども。

 さてここで、些かの気取りと厭みな居直りを含めて云ふならば、丸太花道は丸太花道といふひとつのカテゴリなので、分類をするのが六づかしいのではないかと思つてゐます。