玄冬の御馳走のひとつに粕汁を挙げて、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏から異論が出るとは思へない。
大根。
牛蒡。
人参。
蒟蒻。
豚肉。
焼き豆腐。
油揚げ。
厚揚げ。
里芋。
鮭。
葱。
大きなお椀にどつさり盛られた粕汁を目の前に、昂奮しないひとがゐるだらうか。と書いた時、これは文章技術のひとつである反語を用ゐてゐるので、そんなひとがゐる筈はないとおれは堅く信じてゐる…のだが、ここで幼少のおれは粕汁が苦手だつたと白状しておく。酒粕獨特のにほひがどうにも鼻についたからで、当り前のお味噌汁の方がうまいと思つてゐた。今にして思ふと、感心しない酒粕だつたのだらう。
新酒の頃から出回る酒粕でつくる粕汁は美味い。同じ藏のお酒をあはすのが理想的で、汁椀を肴に呑めるのかと思ふひとは一ぺん、試されるがよい。元を辿れば同じなんだもの、相性が惡くなる道理は無い。これに匹敵する組合せは豚汁と焼酎くらゐで、ボルシチとウォトカ、ブイヤベースに葡萄酒では一歩及ばないと思はれる。無念だらうな。
さておれとしては尊敬する吉田健一が、大坂の食堂で食べた粕汁と加藥ごはんの組合せを絶讚してゐたのを思ひ出さなくてはならない。煩を厭つて引用は差し控へるけれど、一讀した時、流石は喰ひしん坊、やるもんだなあと感心した。やるもんだなあと思つたのは、加藥ごはんとの取合せを撰んだところで、加藥ごはんが本領を發揮するのは、きつねうどんでなければ粕汁に限る。
その粕汁の話だつた。
正直に云ふと粕汁は、ごはんも含め、他の何かとあはすのが六つかしい。獨立性が高いと云へば恰好よく感じられもするが、身も蓋もなく扱ひが厄介な汁もの…食べものと云つていい。上に挙げた諸々の具は粕汁にお馴染みの筈で、獨立性の高さを具の種類で補つてゐると見立てるのが、事實といふか背景といふかだと思ふ。
念を押すと、だからいかんと云ふ積りは丸で無い。獨立性が高いのは、(豚汁と同じく)それだけで食事が成り立つからで、後はお酒があればいい。
具を摘んで呑む。
汁を含む。
また具を摘んだら今度は汁を含む。
呑んで具を摘む。
お代り(お酒も勿論)を繰返ししつつ、粉山椒や七味唐辛子を気配みたいに振りながら食べれば満足する。他に何か慾しいとしたら、胡瓜や白菜のお漬物くらゐで、それを質素簡潔と笑ふのは勝手だが、さういふ形の御馳走もあるのだと知つておいて、損にはならない。