閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

225 年ノ瀬

 川の流れは色々と複雑である。深浅速遅が入り交つてゐて、中でも浅く流れが速い箇所を“瀬”と呼ぶ。深く澱んだ箇所が対になつて、そちらは“淵”といふ。どうです、勉強になるでせう。わたしもさつき調べて判つた。“瀬”の方には泡立つやうなあはただしい語感がある。あつたと云ふべきか。たとへば瀬戸内海と云つて、現代の我われが波がぶつかりあふ猛々しさを連想するのは六づかしい。日本史に熱心な讀者諸嬢諸氏であれば、檀ノ浦の海戰…あすこは海の流れが烈しく、また時間によつて方向が激変するさうで、その激変が平家方水軍の敗北に繋がつたといふ…を思ひ出すかも知れないが、歴史の一面が浮ぶ程度に稀な連想だと云へなくもない。

 川の話ではなかつた。“年ノ瀬”の“瀬”はどこからきたのだらうと思つたのが切つ掛けで、確かに年末のあはただしさは、浅く、また速い。ご先祖は巧妙な譬喩を思ひついたものだ。と書いてから今度は、大体いつ頃からが“年ノ瀬”なのかが気になつてきた。大きく云ふと(旧暦の)十二月に入つてからなのだが、厳密にどうかといふと、はつきりしない。“正月の準備にかかる辺りから”といふ説もあるさうで、併し現代は兎も角、この云ひ廻しが出來た頃は、蝦夷と薩摩ぢやあ、“準備にかかる”時期が丸でちがふ筈だから、当てにはならない。尤も“年ノ瀬”のあはただしさには、つけを払ふ金策の切羽詰り具合もあつたらしい。さうなると江戸生れだらうか。さう思つても、商家と農民ではまた事情がちがふだらう。矢張り当てにならない。そこで念の為、手元にの『新明解国語辞典』(三省堂/第四版)で“年ノ瀬”の稿を見ると

「(それをうまく越せるかどうかが問題である)精算期としての年末」

とあつた。十二月ですらない。商ひの相手によつては毎月が“年ノ瀬”にもなり得たわけで、熊さん八つつあん連中…大体のところは腕のよくない職人だつた…は大変だつたらうな。

 とは云ふものの、“年ノ瀬”を使ふ目安が十二月も半ばを過ぎてからなのは、衆目の一致するところらしい。判らなくもない。わたしとしては下旬…二十日を過ぎてから、口にしたい。たかだか七日かそこら、五月蠅いことを云ひなさんなと呆れるひとがゐても、まあ不思議には思はない。はつきりした習慣…謂れがない以上、どこで区切りの挨拶を用ゐるかは気分による部分が大きくなるのも、やむ事を得ないのではなからうか。それにこの稿をアップロードする時であれば、衆目の一致とわたしの気分にずれは出ないから安心でもある。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、年ノ瀬に到りました。よいお年をお迎へくださいまし。