閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

843 えらくまた旧式な

 シャープのAQUOS sense3(au版)を使つてゐると云つたらきつと、我がスマートフォンに詳しい讀者諸嬢諸氏は

 「またえらく旧式な機種を」

苦笑ひを浮べるだらう。事實である。さう認めたら今度は

 「どうして新しい機種にしないのか」

指摘が續く筈で、それもまあ確かにその通りだと思ふ。思ひはするが、手續をするのが面倒に感じられて、どうも踏ん切りがつかない。踏ん切りがつかないのは今の機種を使つて、別段の不自由もないからで、思ひ返すと過去の機種変更は電池が保たなくなつたとか、操作の反応がにぶくなつたとか、使ひ勝手に難が出たのが切つ掛けだつた。

 我がsense3は少々、電池が草臥れてきてはゐても、別段の不自由までは到つてゐない。だつたらもう暫くはこのままでも、かまはないんぢやあないかと考へてゐる。フィーチャーフォンの頃、割賦の支払ひが終るのと機種変更がほぼ同じ意味だつたことを思ひ出す。

 懐古趣味と笑はれるのを承知で云ふと、フィーチャーフォンのスタイルは末期まで、スタイリングの工夫があつた。主流が二つ折りだつたのは云ふまでもないとして、ハードディスクを組み入れた機種、開いた画面を九十度倒せる機種、ヒンジに細工を施し縦横どちらでも開ける機種、二つ折りを拒んで、画面を百八十度動かすことでキーが使へる機種、その他諸々あつた。見方によつては最後までスタイリングが収斂しなかつた…ベストと呼べる解があれば、そこに纏つた筈である…とも云へるんだが、その未完成、不完全がフィーチャーフォンの面白さであつたとも云へる。ああいふ仕事に携つた工業デザイナは樂んだらうな。

 現代のスマートフォンのスタイルは、iPhone…もつと乱暴に云へば、スティーブ・ジョブズの趣味…がいきなり完成させたとおれは思つてゐる。正直なところ、あの人物には決して好もしい印象を持たないけれど、工業デザインと個人の嗜好を一致させきつた点で、特異な才を持つてゐたと認めるには吝かでない。

 但しその特異な才とスマートフォン史を俯瞰した時の評価がまた異なるのは当然で、追随した他社は云ふに及ばず、ジョブズを失つたアップルすら、今もiPhoneの強烈な呪縛にとらはれてゐるやうに思はれる。だからと云ふのは粗雑になるのを認めながら言葉を継ぎ足すと、さういふスタイリングのスマートフォンは見飽きたといふのも、おれが機種変更に踏み切れない理由ではないかと思へる。まあそこで

 「併し"iPhoneが(いきなり)完成さした"なら、そこはもう、どうにもならんでせう」

冷静な突つ込み…訂正、指摘が出たら、確かに反論は六つかしい。工業デザイナの怠慢ぢやあないかと思ひはしても、實際に出ないのだから、何かしらの形で妥協が必要になるのは間違ひない。そんなら寧ろ電話(と使ひ續ける事情があるauのメール)の部分だけをフィーチャーフォンに戻して、残りをタブレットに任せる方法も候補に考へられる。その場合の問題は、タブレットで使へさうなのがiPadくらゐしか見当らない。さうなると当面、sense3が現役のままである可能性が高くなる。auはきつと厭な顔をするだらうが、旧式をはふり出したくなる機種を出さない方が惡い。ひよつとして、出せないのかも知れないけれど。