閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

243 たかだか一本百円なのに

 以前から何べんか(または何べんも)触れてゐる話題だが、気にしない。

 串焼き…焼き鳥やもつ焼きについてである。

 アラブにはシャシリュークだつたか、羊肉を長い串に刺して焙り、香草をまぶしつける料理があるらしく、旨さうだね、これは。尤もアラブ人にはムスリムが多いといふから、シャシリュークを貪りながら、麦酒を引つ掛けるわけにはゆかなささうで、ちよいと困るけれども。

 廉い…まあ大体の場合は。

 串一本で百円とか百五十円とか。

 好みの串を数本と焼酎ハイ、そこにもつ煮を奢つても二千円以内に収まる筈で、かう書くと、一部の讀者諸嬢諸氏は鼻を鳴らすだらうか。

「そんならあと千円か二千円出して、ステイクでも蕎麦でも食べる方が余つ程ましだよ」

ステイクや蕎麦が旨いのは認めるとして、併しその見方はをかしい。比較するならせめて同じくらゐの値段で対案を出すか、だつたら家で食べますよといふ撰択の筈である。鰯の生姜煮とピロシキを較べる積りになれるものかね。

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 喧嘩腰は止めませう。

 わたしは平和的な男なんである。

 そこで串焼きに話を戻すと、ゆつくり飲みたい時、あんなに嬉しい食べものはない。ポテト・サラドだのもつ煮だのをつつきながら

「ハラミ、カシラ、ハツ。全部、たれで(何故たれなのかは後で触れる)」

と註文したとする。さうすると焼き場でハラミとカシラとハツが焼かれるわけで、どうしたつて時間が必要になる。

 この待つ時間がいい。

 ことに目の前に焼き場があると、あれがわたしのハラミとカシラとハツかと判るから、それを見物しながら飲むのが旨い。素早く頼むよといふ焦りと、丁寧に焼いてくれ玉へといふ気分が、ごつちやになつて、おやおや、おれはこんなに我が儘だつたのかとも思へてくる。それで

「お待ち遠さま」

とお皿が…訂正、お皿に乗せられたハラミとカシラとハツが出されると、口ではどうもとか有難うとか云ひながら、腹の底ではうむご苦労と呟いてゐるから、厭な客だねまつたく。

 最初はそのまま囓る。我が若い讀者諸嬢諸氏の為に云ふと、たれの味も店によつて異なつてゐるのです。どろりと濃いのとさらりとした感じ。甘みが勝つてゐるのと、辛さが感じられるのと。堅い歯触りとやはらかな口当り。濃い淡いと甘い辛いと堅い軟らかいに関係はなく、その辺がどうだかは食べてみないと解らない。好もしい味なそのまま食べる。場合によつては七味唐辛子を振つたり、辛味噌を添へたりもする。

 さうやつて食べながら、次の註文を考へる。ここの切れ目は短い方が望ましい。ハラミとカシラとハツを食べきる前に、ぼんじり、ねぎま、タンとレヴァ。いづれも矢張り、たれだと決めて聲を掛ける。序でに焼酎ハイのお代りも頼んでおきませう。油断は禁物である。何の油断なのか、書いてゐる本人もよく解つてはゐないのだが、さういふ些細な点に膠泥しても仕方がない。それで何べんか食べ(通ふの意味ですよ)、たれの味や焼き具合を信用していいと思つたら、塩で註文を試す。

 「串焼きは塩でないと、素材の味が云々」

とのたまふひとが世の中にゐるのは承知してゐますよ。またそこに一定の説得力を認めるのも吝かではない。わたしは平和的な上に公正な男でもある。但し全面的な同意を示すわけにはゆかない。塩至上論者は、串焼きを塩で仕立てる場合

「肉と塩と焼き方が調和しなければ、旨くない」

といふ事實を見逃してゐるか、目を瞑つてゐるかの一点で、致命的な誤りを犯してゐる。もつと短く、調理は“素材の味を引き出す”技法なのだと云つてもいい。たれ仕立てでも條件(の骨組み)は同じだが、たれ自体がある程度…といふのはそのお店の中で、だから…は完成されたものなので、上手下手が表に出にくい傾向がある。たかだか一本百円の串焼きで、然も不見転の店に入る場合、当りを引くより外れを引かないことを重視すべきで、その点からたれは有効な撰択と考へていい。

 さてそこで、これなら大丈夫だと塩を試してみるとする。何で試すのがいいだらう。わたしなら葱にする。火の通し具合、塩の効かせ具合で、味がちがふのには驚かされる。肉は火を通せば相応に食べられるが、葱だと太さや水気、串に刺つた箇所で細かな調整をしないと、余程に味が変るものらしい。なので厳密にしたいなら、二本以上を頼むのがよからう。それで安定してゐると感じられれば、タンでもハツでもレヴァでもシロでもお好みを塩で註文して安心である。多分。

 「莫迦だなあ。たかだか百円かそこらの串焼き程度に、そこまで手間を掛けるなんて」

と笑ふひとはそれでかまはない。口に入れた途端に溶けるやうな脂身に舌鼓を打つたとしても文句はありませんよ。わたしだつて偶にちよつぴりなら、惡くないと思ふ。ただね、それは最初から美味しいといふのが(それなりに)保證されてゐるでせう。自分の舌と足で、旨く食べる工夫…愉しみがあつたつて、かまひますまい。強要はしないけれども、最初つからそこを拒んでくるひととは、酒席を共にしたくはないね。

 いや失礼、自分の串焼きを待つみたいに、のんびり…と書きかけて気がついた。串焼きは基本的に作り置きが許されない食べものである。詰りいつだつて出來たてを食べられるわけだが、さうするには時間…といふより、時間を作れる余裕が必要になる。たかだか一本百円なのに。食べては飲み、飲んでは焼いてもらひ、飲みながら待ち、次の出來たてを食べる。せかせかした気分だと、このローテイションを満喫するのは中々六づかしい。さういふ視点に立つと、串焼きで一ぱい呑るのは、見た目より贅沢な行為であるとも云へる。たかだか一本百円なのに。葱のお代りに獅子唐は塩。ハラミの追加はたれに戻り、タンとレヴァは塩にする。それから

「焼酎ハイを、もう一ぱい」