閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

312 横濱ビイル

 何年か前…その何年か前は中畑清が監督の頃だから、この十年以内のことである…横濱球場で麦酒を呑んだ。いや麦酒はつけたりで、野球見物が主だつたのだが、そつちの話は措く。

 横濱球場は麦酒の持ち込みが出來ない。外の球場もさうなのだらうが、明治神宮野球場でも東京ドームでも西武ドームでもマリンスタジアムでも麦酒を呑んだ経験がないから、横濱球場に限つたこととする。球場の近くにはコンビニエンス・ストアがあるから、予め麦酒を買へなくもないのだが、球場に入る時に紙コップへ移さなくてはならない。第一手ぶらで球場に入るわけでなく、そこに紙コップが追加されると、席に坐るまでが面倒で仕方ない。なのでコンビニエンス・ストアで買ふのはナッツだの唐揚げだのに限られる。ああいふ時のおつまみは膝に置けて、片手でつまめるやつが望ましい。

 外の球場はどうだか知らないが、横濱球場は暑い。巨きな擂り鉢のやうな造りで、その擂り鉢の縁に看板まで立てられ、風通しが惡いから当然であらう。それにベイスターズ贔屓の応援が熱心でもあつて、そちらの熱気にもあてられる。さうなると喉が渇く。入場前に麦酒は買つてゐない。そこで麦酒の賣り子さんを探す。ロケッティアのやうな麦酒樽を背負つて

「麦酒は如何ですか」

と聲を張り上げ、手を振つてゐるから直ぐ判る。階段を駆け降りたい気持ちをぐつと我慢して、席から手を振ると、賣り子さんが軽やかな足取りで階段を上り、麦酒を注いでくれる。受け取りながらお金を払ふ。七百円くらゐだつた筈で、値段だけを見ると實に割高に思ふ。コンビニエンス・ストアで買つたら半分くらゐの値段で済むだらうから、けちん坊は眉を逆立てるにちがひない。気持ちは解る。

 理解を示しながら更に云ふと、その七百円だつたかが實際に高いかと考へれば、さうとも云ひにくい気がされる。手を振つて呼んだ賣り子さんの足取りを見るのは樂しいものだし、麦酒はその場で注いでくれるし、その麦酒は手渡ししてもらへもする。にこにこしながら麦酒を注ぎ、また手渡してくるのは嬉しいもので、さういふ全部をあはせて七百円なら、妥当と云ひたくなる。そのにこにこはお愛想だよと斜めを気取らなくてもいい。お愛想が本当かも知れないが、自分ににこにこしてゐると思ひ込む方が、麦酒が旨くなるし、ナッツや唐揚げ、或は奮發した焼賣も旨くなる。そこまで考へれば、七百円は寧ろ横濱ビイルと呼ぶべき廉な値段だと主張しても的外れの謗りは受けないだらうし、愛らしい賣り子さんも喜んで呉れるのではないか。さうやつて横濱ビイルを呑んでゐると、いつの間にか試合は終盤に差し掛つて、我らがベイスターズは勝つてゐるのかさうでないのか、醉眼には判然としない。