閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

969 タタールのソース

 タタール風ソースの意で、タルタル・ソースと呼ぶ。ステイクのタルタルから、転じたものか。念の為に云ふと、ステイクの方のタルタルは、細かく刻んだ生肉を、香草や香辛料で調へた料理。タタールは筋を切つた馬肉を用ゐたさうで、ヨーロッパ人はきつと、騎馬民族の獰猛に呆れたらうな。併しさうなると、その獰猛人種の料理を真似たヨーロッパ人は何を考へたのか、気になりもする。

 騎馬人の精気への劣等感が、あくがれに変じたと見たら、当時の欧州人は、莫迦にしちやあいけませんよ、と腹を立てるだらうか。とは云へ、靭い生きものへの憧憬は、さほど不自然な心情ではないでせう。もつと厭みに、タタールの脅威から逃れた欧州人が、蛮族を馴致した證に、"洗練された"調理法を編み出したと、見立てる方向もなくはない。異文明のぶつかり合ひに就てはさて措き。

 うで玉子、玉葱、胡瓜、ピックルスの類を矢張り細かく刻んで、卵黄と酢のソース、詰りマヨネィーズに混ぜ込むと、タルタル・ソースになる。ハムやツナの罐詰を入れてよく、醤油を忍ばせ、黑胡椒を振り…中々応用乃至融通がきく。牡蠣フライに海老フライ、鮭のフライにあふのは当然として、食パンに塗り、チーズと一緒にトーストするだけでも旨い。とは云つても、タルタル・ソースを使ふ大發明といへば、矢張りチキン南蛮だと思ふ。タルタル・ソースを前提にした食べものが、世の中に幾つあるのか、私は知らないが、撰手権が開かれたら、シード枠を獲得して、準決勝進出までは間違ひなからう。

 

 それはそれとして、タルタル・ソースは、具をたつぷり使つたのを、そのまま匙で食べるのが、一ばん旨い気がする。それだけで(いや出來れば、バゲットのひときれくらゐは慾しい)お摘みにもなる。細く切つたたくわんと組合せたら、麦酒や焼酎にも似合ふ。尤もかういふ食べ方は、欧州人は勿論、タタールの騎馬武者からも呆れられさうでもあるし、確かに別枠で扱ふべきかと思はれる。