閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1035 買ひそこねたカメラ

 リコーのGRデジタルは初代からⅣまであつた。

 この四世代は受光素子の大きさで、初代とⅡ、Ⅲ及びⅣに分割出來る。

 これまで何度も触れたとほり、私の手元にあるのはGRデジタルⅡで、最初はⅢが出る直前に入手した。Ⅲを見た時、Ⅱに較べると、アクセサリ・シューがほんの少し、飛び出てゐるのに気が附いて、Ⅱを撰んで正解だつたと思つた。GRデジタルは最初から最後まで、そのスタイリングを殆ど変更しなかつたから、細かな差違が目に留まり易いんである。Ⅳになつて、機能とスタイリングが纏つた。

 

 Ⅳが出た頃の私は、どの世代のGRデジタルも持つてゐなかつた。矢張りレンズ交換が出來なくちやあと、マイクロフォーサーズに嵌り込んだ時期である。この規格も現在、私の主要なカメラ(の一方)だとは、念を押しておかう。どちらにせよ、小さくかるい点に、重きを置いたのは、今に續く嗜好の芽生へであつたと思はれる。それともGRデジタルⅡで、身についた感覚が、マイクロフォーサーズを呼んだものか。

 話を戻しますよ。新發賣のGRデジタルⅣが、慾しくなかつたわけではない。いや率直なところ、慾しいと思つた。間のわるいことに、ニューナンブの頴娃君が、限定色のⅣにコシナフォクトレンダー銘の小型ファインダを乗せ、ヒラノの革ケイスに入れたのを持つてゐて、羨ましかつた。あの男はライカ原理主義者なのに、限定の触れ込みに引つ掛かる癖があつて時折り、さういふ買ひ物をする。あのⅣはまだ、かれの手元にあるのか知ら。仕舞つた叉、話が逸れた。

 

 そのGRデジタルⅣの入手に到らなかつたのは、頴娃君の後追ひになると思つたのがひとつ。詰らない見栄だねえ。もうひとつ、GRデジタルを改めて買ふならⅡからだ、といふ義理立てのやうな感情があつた。手元に(何故か)残してゐたアクセサリ類を、Ⅳに転用出來ない事情もあつたけれど、思ひ入れといふ、公正さに欠ける気分の方が大きかつた。その義理は後年、發賣時期を考へれば、満足出來る調子の中古の個体を入手することで果した。

 これでやうやく、GRデジタルⅣを買へるかと云ふと、ことはさう簡単ではない。GRデジタルの時代は疾うの昔に終り、"デジタル"抜きのGRも既にⅢまで代を重ねてゐて、私の興味と食指はそのGRⅢに向つてゐた。初代GRとGRⅡは、構造か設計か、横幅が広くて気に入らなかつたのが、GRⅢで元の、詰り目と手に馴染んだGRデジタルⅡに近いスタイリングに戻してゐて、どうしても慾しくなり、實際に贖ひもした。結局GRデジタルⅣは、買ひ損ねたまま今に到つてゐる。