閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

353 文學的なストーヴを

 何の本で讀んだか忘れたが、和歌集で夏の部に収められた歌の大半は、涼しげな口調なのだといふ。夜に吹き渡る風が快いとか、池の水面に映つた月の蔭が秋のやうだとかそんなの計りで、筆者はそれを、夏は暑くてうんざりする季節だから、歌で涼を取らうとする知恵だつたかと推察してゐた。えらく文學的な冷房装置である。ホメロス杜甫はかういふ詩を詠んだだらうか。詠まなかつたとしてもかれらの不名誉ではないけれども。

 夏の和歌を文學的冷房として使つていいなら、この手帖で寒い季節を思つても惡くはない。文學的かどうかは別に、さうすることで何だか知らないが兎に角疲弊した胃袋に、この先には愉しみがあるからと云ひきかしておけば、麦酒と酸つぱいお漬物と素麺で知足せずに済む。それで何の話かといふとおでんで、吉田健一が惡い。偶々讀み返してゐる一冊の中に“おでん屋”といふ短い文章があつて、これがまつたく迷惑なんである。

 おでん屋というのは安い酒を飲ませるところで、安い紛いものを出す場所ではない(中略)安くてうまいものにおでんがあり(中略)それ以外におでん屋が存在する理由はない。

 こんな風に書いてあつて、この本が世に出たのが昭和四十九年だから、その時代かその少し前の話といふことになる。殆ど半世紀前でも、 もしかしてこんなおでん屋が、どこかに残つてゐるかも知れないと思ふと、足元が落ち着かなくなる。詰り迷惑なので、かういふのを名文と呼ぶのはどうも悔しい。

 併し落ち着かない足元をどうにか我慢して考へれば、わたしの人生におでん屋はほぼ無縁であつた。もつと云ふと、おでんを積極的に好んだ記憶も無くて、きらひなのではないが、進んでおでんを喰はうともしたことがない。そのくせおでんといふ言葉からは、煮える鍋と湯気、その中で踊る種が芳しい香りと共に立ち上つてくるのを感じるから、不思議である。吉田の一文はその香りの輪郭を鮮やかにしてゐて、さう考へれば前言を翻して名文だと讚へるのも吝かでなくなる。

 その気になつた時に意外なくらゐ、食べるのに苦労するのがおでんではなからうか。マーケットには袋詰めのが賣つてあるし、時期にもよるのだらうが、コンヴィニエンス・ストアでも色々な種が賣られてゐる。ちよつとした呑み屋でも幾つかの種が盛合せとか、そんな名前で出してゐて、それで苦労苦心するのは変だと云はれるだらうか。さう云はれたら、おでんは種をひとつかふたつ、頼んで、食べきつたらおもむろに次の種を頼むのが一ばん旨いのではなからうかと訊き返したい。袋詰めもコンヴィニエンス・ストアも、呑み屋の盛合せと同じで、その辺の樂しみに欠ける。

 糸蒟蒻。

 厚揚げ。

 大根。

 餅巾着。

 焼き豆腐。

 飯蛸。

 薩摩揚げ

 牛すぢ。

 うで玉子。

 かういふのを順番に註文して、少しづつ、つまむのは、お酒が紛ひものでない限り、確かに呑み助の理想郷である。何事も無い或る日の夕方、風の音を聴きながら、冷や酒をお供にすることを思へば、仮にそれらが目の前の卓に無くて、共寝の望めない夜であつても、腹と爪先は十分に暖められるのは間違ひない。