閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

727 ざらざら

 食事の終りにお茶漬けがあると、まことに結構と云ひたくなる。何がどう結構なのか、そのところを文字にするのは六づかしい。無理に云へば、その食事が綺麗に終つたと感じられるからではないかと思ふ。

 めしをお茶…水に浸すのは、相当にふるい食べ方だらう。食事の都度に米を炊くなんて、火を使ふのが贅沢だつた頃には、余程のお大尽でもなければ無理だつたにちがひない。何で讀んだか、贅沢に飽きたお公卿さんが、水洗ひしためしを笹の葉に乗せて差し出されたのを見て、源氏の一節を想はせると喜んで、用意をした下人にご褒美を授けたといふ話がある。公卿らしい衒學好みの喜び様だし、米を水に浸して食べるのは、紫式部の時代には確立してゐたらしいとも判る。ぐつと時代が下つた江戸期でも、お米は朝乃至夕に纏めて炊いて(これは東西で異なつたらしい)、冷やめしにお湯なりお茶なりをかけたさうだから、炊きたてのごはんを毎食、口に出來る期間の方が、歴史的には短いことになる。

 かういふ話をする時に無視出來ないのは、尊敬する吉田健一で、手元の本を探すと、『私の食物誌』の"茶漬け"でふたつ紹介されてゐた。ひとつは鮪を用ゐた新橋茶漬け(文章から察するに、どこかの名物だつたらしい)それから大坂の鰻の白焼きを使つた茶漬け。この本は各篇がごく短いので、實際にお茶漬けだつたのか、出汁を使つてゐたのか、その辺りは判然としないけれど、一筆書きで描かれた様はどちらも、まつたく旨さうで困る。文學は時として、迷惑なのだなあ。

 併し新橋茶漬けも白焼き茶漬けも、今は食べられないさうだし(詰りお店がなくなつてゐる)、仮に食べられるとしたつて気らくに毎日、食べられるものでもない。梅干しだとか、塩鮭を焼いたのの残りでなければ、たくわんや野沢菜漬けや佃煮でぞろつぺえにやつつけるのが、きつと我われに馴染み深いお茶漬けである。さう思つて辻嘉一の『料理のお手本』を見ると、"お茶漬け談義"に、鮭茶漬けと梅干茶漬けが載つてゐた。前者の記載は焼いた塩鮭を毟り、青紫蘇の細切りと煎つた黑胡麻を散らしてお茶をかけると簡素だが、梅干茶漬けは中々面倒…訂正、凝つてゐて、引用しますよ。

 

 梅干の薄皮をむき、梅肉だけを裏ごしして、もみがつお(削ったかつお節をさらに粉にしたもの)を同量まぜ合わせ、お酒を徐々に入れてのばします。

 御飯を六分目お茶碗に盛り、上に梅がつおを薄くぬりつけるようにし、さらに御飯を少量盛り、お茶をかけ、浅草のりの細切りをたっぷりかけて、塩を少々ふりかけ調味します。

 

 旨さうである。といふより、これで旨くならなければをかしい。辻は"二日酔の朝にはおすすめしたい"と續けてゐて、成る程と納得させられる。梅がつおは海苔巻で食べたくもあるし、何だつたらそのまま肴にしてもいい。細やかさは流石に懐石の気配り…云ふまでもなく[辻留]のあるじ…と膝を打ちたくなるが、かういふのは、たれかに振る舞つてもらつてこそ、旨いんではないか知ら。

 前段では婉曲に云つたけれど、要するに自分の為に用意するのは面倒と纏めてかまはない。引用してゐない箇所ではごはんの炊き方にも触れてゐて、ははあと感心はしても、見習はうとはとても思へないもの。かと云つて、(お茶漬けに限つた話だが)梅干しをころりと乗つけるより、梅肉が崩れてゐる方が確かにうまい。前述の一冊を信じると…お茶席を知悉した料理人が云ふのだから、間違ひあるまい…、音を立てるのに八釜しい禅寺でも、お茶漬けはざらざら賑やかに食べて咜られないといふ。

 さう考へれば梅干しでも焼き鮭でも、崩しながらやつつけるより、ある程度にしても、最初からごはんに混つてゐる方が具合がよい。なのでわたしの場合、ごはんを炊く時に梅干しを入れる。水の量は普段と同じでいい。炊きあがつたら、そこで梅肉を崩しながらごはんに混ぜる。種はその際に取るか、"当り籖"にしてもいい。適度に塩気がきくし、減塩ものの梅干しなら、一緒に生姜を入れればよい。醤油をほんの少し垂らせば、うまくすると焦げも出來る。そこに熱いお茶を注ぐ。ごはんの味が濃いめに感じたらお湯で宜しく、お出汁を奢つたつて、何ならお味噌汁だつてかまひますまい。

 お茶でもお湯でもお出汁でも、食べつつ少しづつ、入れるのが好もしく旨い。小田原の大名は継ぎ足しをきらつたといふが、お茶碗を持つて食べるのに、お茶が波々としてゐるのは、見映が惡い上に食べにくからう。小笠原の宗匠は箸先を二分と汚さなかつた、とお公卿さんが云つても、あれは禮法を突き詰めたひとだから辿り着ける境地である。ここで話が戻つてきて、我われが平らげたいのは、禮儀作法をちよいと横に置き、口の中とお茶碗を綺麗にする為のお茶漬けなんである。何とも下人めいた樂みだねえと苦笑ひを浮べるひとだつてゐるだらうが、洗ひめしを笹に乗せる知恵が働かないのだから、それくらゐは勘弁してもらつても、いいでせう。