閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

427 赤羽ガンマン

 先づ地名について[日本大百科全書]から引くと

◾️赤羽(アカバネ)

 東京都北区の北部(中略)、江戸時代は赤羽根と記し、この一帯に赤土が多く赤埴といわれたことが地名の由来ともいう(中略)江戸時代は岩槻街道(日光御成街道)筋の寒村であったが、千八百八十七年(明治廿年以降台地は軍用地となり、工兵隊、被服本廠、火薬庫などがあった(後略)

※表記を多少、閑文字流に改めた。

とある。赤埴は赤土の意。アカハニと訓む。これが転じてアカハネになつたらしいが、"ハネ"が"バネ"に転じた理由はよく判らない。音韻學的な事情があるのか。それとも羽(根)の字を宛てた時に音が変化したのだらうか。

 土地の特徴が地名になるのは珍しくない。赤羽も例外ではなく、東京だけでなく、福島栃木新潟長野にも同じ地名がある。地名が姓に転じる例もまた珍しくはなく、陸奥信濃には赤羽氏があったといふ。どちらも清和源氏の後裔(を称してゐる)ご存知でしたか。わたしは今回、初めて知つた。

 東京都北区の赤羽なら、新宿から旧國鐵の埼京線で十数分程度で着到する。近いからびつくりした。びつくりしつつ、随分以前に一ぺん、ふらつと訪れた事を思ひ出した。何も調べず考へずの訪問だつたから、何もしてゐない。少し歩いてからちよいと呑んで帰つた筈である。併し惡い印象は無い。

 「すりやあ貴方、上ツ面をひよいと撫でる程度なら、印象に佳いも惡いもあつたものぢやあないさ」

といふ指摘は間違ひではないにしても、その上ツ面の手触りが好もしくない事だつて考へられる。第一印象は矢張り、大事にしておきませう。

 その一ぺんのふらりからこつち、赤羽には行つてゐない。

 厭な印象が無いのだから、何べんか足を運んでもよからう筈なのに。

 切つ掛けに恵まれないと断じるのは誤りではないが、切つ掛けが無くたつて、中野(赤羽より近い事は近い)へは行くのだから、理由とするには軽い。馴染みのちがひと云つても、行かなければ馴染むも何も無いのだから、理窟が成り立たない。尤も馴染むかどうかの條件は、その場所が普段の往き來の範囲にあるかどうかでもあると考へれば、赤羽はわたしにとつて近いとは云へなくなる。

 何しろ普段は中央線の新宿から中野間しか往き來しないから(高円寺から荻窪辺りまで範囲を広げたいところではあるが、それは別の話)、埼京線は異なる文化圏に思はれてならない。大坂なら京阪本線南海本線では、町の空気…匂ひがきつとちがふでせう。もつと狭く、キタとミナミでも丸で異なつてゐて、赤羽と中野のちがひをさう譬へれば、近畿圏の讀者諸嬢諸氏には伝はると思ふ。札幌や仙台、新潟に名古屋に広島に博多の讀者諸嬢諸氏には申し訳ないが、その辺の鐵道事情はよく知らない。

 えーと、何だつたか知ら。

 さう。文化圏が異なる(だらう)といふのは、行かない理由より、行く理由にな(り得)る。それが仮に電車で半時間余りの距離でも、そこまで足を運ばうといふのは正しい意味での旅行ではなからうか。赤羽に限つた話ではなく、立川でも八王子でも福生でも、骨組みは同じである。その同じ骨組みの中で赤羽に着目したのは、どうやら旨くて廉な呑み屋が集つてゐさうだといふ点で、立川や福生や八王子にも旨い呑み屋はあるに決つてゐるが(八王子では呑んだ経験があるから、ここは間違ひない)、赤羽ほど塊になつてゐるのかどうか、疑念の余地はある。

 「なんだ結局はそこに落ちるのだね」

と笑はれては困る。文化圏のちがふ土地で呑むお酒…日本酒でも葡萄酒でも、泡盛焼酎ヰスキィでも…の味、味はひがちがふだらうとは容易な想像の筈で、何を云つてゐるか解らないと首を傾げるひとは、外で呑むのに向かないのだと思ふ。わたしのやうな嗜好の持ち主にとつて、赤羽は"旅行先"として中々魅力的に映る。

 では"赤羽旅行"に行くとして、"呑む"のが前提になるのだから、日帰りは考へにくい。確かめると何軒かは晝から開いてゐると判つたから、呑めない不安は無いのだけれど、同じなら看板なり提灯なりが派手はでしい夜を素通りするのは

 「ひととして如何なものか」

と思はれる。そして呑み助なら呑み出してから家に帰る事は考へられなくなる。となると泊らざらるを得なくなつて、廉な呑み屋を満喫する筈が、主客転倒になりかねない。尤も云ひだせばそれは外で呑む事ぜんたいに当て嵌まる。気にするだけ無駄だらうか。

 そこで不見転のお店(ここでは呑み屋の意)に入りにくい…入りにくさを感じるといふ問題が生じる。わたしはいつたいに臆病なたちで、新しい呑み屋を見つけて、気がるに暖簾をくぐるのがどうにも苦手である。とくに狭い土地だと常連さんだけで成り立つてゐるやうなお店も少くない。西部劇で流れ者のガンマンが酒場に入ると、そこにたむろする連中が一斉に視線を向けて、その中のひとりが

 「あんた、この辺ぢやあ、見ねえツラだな」

とか凄む場面があるでせう。大抵は地元の乱暴者が難癖を点けた挙げ句、撃ち合ひになつて、ガンマンが勝つ。この場合の役で云ふとこちらがガンマンの筈だが、銃を持つてゐるわけではないし、そもそもわたしは平和的な男だから揉め事は御免蒙りたい。

 勿論現實的には、呑み屋の大将や女将さんが胡散臭げな目つきで睨んでくるとは思へず、寧ろ愛想よく迎へて呉れるにちがひない。客商賣なのだもの、当然である。常連さんだつて、腹の底はどうでも、一見の客を相手に

 「赤土で捏ねまはして、埴輪にしてやらうか」

なんて喧嘩腰の態度は取らないに決つてゐる。要はこつちの肩に、不必要なくらゐの力が籠つてゐるだけなのだが、赤羽の夜は何となく濃度が高さうだから(一体何の濃度なのか)、怯みを感じて仕舞ふのも本心である。ここで臆病なたちといふところに話が戻るので、"赤羽旅行"を決め込む時は、用心の為に銀玉鐵砲を隠し持つて行かうか知ら。