閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

441 忠實蒲鉾

 たまに蒲鉾を食べたいと思ふ。併し毎日食べたいとは思はない。蒲鉾はさういふ食べものである。幾つかの辞書から解説を引きつつ、取り纏める。

 

◾️大きく云ふと

 白身の魚を擂り身にし、調味料や片栗粉等を加へて練り、それを板につけ、或は簀巻にし、(時には)種々の形に細工して、蒸し、茹で、または焙り焼いた食べもの。

◾️名前の由來

 蒲の穂は、形が鉾に似ていることから"蒲鉾"と呼ばれてをり、竹に白身魚のすり身を塗りつけて筒状に焼いて作つた食べものが、これに似てゐた事から。

◾️材料の諸々

 初期には鯰。

 外にグチ(イシモチ)、鱧、助惣鱈、鯛、鱚、鰈、飛び魚、梭子魚、甘鯛、比目魚、鯊、烏賊、鱶、メヌケ、エソ、、ムツナ、キチジ、オキギス、北洋スケトウ鱈等。

◾️作り方色々

 ・蒸し:蒸籠等に入れ蒸気で蒸し上げる。小田原蒲鉾をはじめ関東の多くがこれ。色の白さから"白板"とも呼ばれる。

 ・焼き:蒸し蒲鉾を更に焼く"焼き板"と、最初から一枚づつ焼く"焼き抜き"の二種。腐敗を防ぐ為に行われた製法。

 ・揚げ:すり身を調味し、油で揚げたもの。一般には薩摩揚げ。関西では"てんぷら"、鹿児島では"つけ揚げ"とも。

 ・茹で:湯の中で茹でる。はんぺん、すぢ(蒲鉾)等。

 

 その外の蘊蓄を大まかに時系列で挙げると、『類聚雑要抄』(藤原親隆/久安二年/千百四十六年頃)に"蒲鉾"の文字がある。これは寝殿造の設へや調度を記した文書(これは"モンジヨ"と訓んでほしい)だが、藤原忠實が永久三年(千百十五年)の転居祝ひで宴会を開いた時の串を刺した蒲鉾が載つてゐる。『鈴鹿家記』(応永六年/千三百九十九年/詳しい事はよく判らない。題から察して個人または一族の記録か)六月十日の条には

 

 「鮒すしかまほこ香物肴種々台物五つ」

 

 なほこの本には、確認された最も古い"雑煮"の記載もあるとの事。これで平安末期から室町期にかけて、蒲鉾は中々のご馳走だつたと推測出來る。その室町幕府が終りに近づく頃の『宗五大草紙』(伊勢貞頼/享祿元年/千五百廿八年)には

 

 「かまぼこはなまず本也。蒲のほをにせたる物なり」

 

 天正頃(十六世紀後半から末期)から、板附き蒲鉾が作られるようになる。詰りここまでの"蒲鉾"は現代風のそれではなかつたと考へていい。實際それは魚の擂り身を竹などに塗りつけて焙つたもので、今で云ふ竹輪にあたる。

 江戸期に入ると板附き蒲鉾は煮る(熱を通す)ようになり、更に蒸し煮法が一般的となつた。この方が味は抜けにくいらしい。その江戸期に出版された『本朝食鑑』(人見必大/元祿十年/千六百九十五年)では蒲鉾の材料として鯛、甘鯛、鱧を上位、次いで比目魚、鱚、鯊、烏賊を挙げ、鱶や鯰は下としてゐる。一世紀半で鯰の地位は随分と低くなつた。

 そこから更に百廿年ほど下つた江戸末期の『守貞謾稿』(喜田川守貞/天保八年/千八百卅七年頃からの執筆。發刊はされなかつたらしい)は執拗で

 

 「今製は図の如く三都ともに杉板面に魚肉を推し蒸す蓋し京坂には蒸したるままをしらいたと云ふ板の焦ざる故也多くは蒸して後焼きて賣る江戸にては焼きて賣ること無レ之皆蒸したるのみを賣る」

 「江戸は百文百四十八文二百文二百四十八文を常とす蓋し二百文以上多くは櫛形の未レ焼物也」

 「三都とも精製は鯛ひらめ等を専らとすまた京坂は鱧製を良とす江戸は虎きすを良とす凡製のものは三都とも鮫の類を専らとす鮫の頭数種あり名を略す」

 

とある。ざつと調べただけなのに様々あつて驚いた。また蒲鉾の原形が日本で生れたのか、海外から似た調理法が渡つてきたのか、さつぱり判らないのも驚いた。魚肉と獸肉のちがひは措いて、ソーセイジに似てゐると思はなくもないが、蒲鉾を保存食とは呼びにくい。

 兎にも角にも贅沢な食べものだつたのは間違ひない。魚を擂るのが先づたいへんだし、焙るとなると燃料も使はなくてはならない。藤原北家氏長者であつた藤原忠實が(きつと得意気に)振舞つても不思議ではあるまい。平安貴族が今のマーケットで叩き賣りされる蒲鉾(かれらの時代に則せば竹輪も含まれる)を目にしたら、どんな顔つきになるか知ら。

f:id:blackzampa:20200308201708p:plain

 さ。ここからは蒲鉾とは云ひつつ、竹輪もほぼ同じ食べものの意で使ひますよ。

 厳密な態度を取れば、材料はああで作り方はかうでと、八釜しい事になるのだらう。それはそれでいい。ただこの稿は常に厳密主義を避けるので、その辺りは踏み込まない。安直な(厳密主義者からは"蒲鉾擬き"と云はれさうな)蒲鉾は、その安直がいいもので、典型的な例として蕎麦屋の板わさを挙げる。かう云ふと眞面目な蕎麦屋

 「うちでは歴とした板わさを用意してゐます」

と眉を逆立てるにちがひない。さうだらうなあとは思ふけれど、こつちは蕎麦を啜る前の一ぱいに肴があればいい。蒲鉾の製法が本格でも変格でも一ぱいに適へば文句は無い。と書いて蕎麦屋の板わさ以外に蒲鉾を食べる機会はそんなにないのではないかと思つた。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏に

 「晩酌には何と云つても、蒲鉾に限るなあ」

山葵醤油で呑みながら呟くひとはをられるのか知ら。チーズや胡瓜をあはせたり、磯辺揚げを好むひとはゐる筈だし、わたしもまたそのひとりではあるのだが、毎晩欠かせないかと云ふと、冒頭に戻つてさうでもない。餅と同じく"ハレ"の食べものだつた記憶が残つてゐる…お正月には慾しくなるのも共通してゐる…からか。

 その一方、至極地味に濫用されてゐる気配も無くはない。大坂風の饂飩には欠かせないし、立ち喰ひの竹輪天麩羅(略してちく天)蕎麦も安価でうまい。崎陽のちやんぼんから蒲鉾を取り除くと淋しくて仕方ない。檀一雄は『美味放浪記』で、高知の波止場近くの店に潜り込み、麦酒を呑みながら竹輪を齧つてゐる。曰く

 

 一本の竹棒に、竹輪が二つずつ刺されている。高知の竹輪や蒲鉾は、口当りが軟かく、味がきわめて淡白だ。

 

寂れた港町の隅つこで、潮風になぶられつつ麦酒を呷り、竹輪をかぢる放浪の小説家の姿は、それ自体が画と呼びたくなつてくる。かれが食べたのは、水揚げされた魚の余祿のやうな食べものの筈で、わたしがたまに食べたいと思ふ蒲鉾は大きく云つてこつちの系統に属する。

 山葵醤油が妥当か知ら。さう考へると、蒲鉾の食べ方はえらく保守的ではないかと気がついた。山葵ではなく辛子や生姜、或は大蒜ならまづいだらうか。味噌や中華風の醤はどうだらう。マヨネィーズを使つたドレッシングやソースは適はないものか。歴とした板わさを出す蕎麦屋の親仁は腹を立てるかも知れないけれど、それは蕎麦屋の事情である。と書いて木ノ葉丼といふのを思ひ出した。鶏肉の代りに薄切りの蒲鉾の卵とぢを使ふ親子丼の変形。または少し豪華な玉子丼。蒲鉾を木ノ葉丼に見立てた名前である。安直安価でうまい。かういふのをごはんを別にお皿で出せば、ちよつとしたおかずになる。醤油や味醂で甘辛く味つけるのが基本だが、ここをどうにかしたら、麦酒やお酒だけでなく、葡萄酒や紹興酒のお供にもなるのではと思ふ。そのどうにかが問題なのだと云はれたらまつたくその通りなのだが、残念な事にそのどうにかが浮んでこない。このままだと忠實卿の引越し祝ひに持つてゆけさうになくて、困つてゐる。

 

【参考URL】

・紀文:練りものの起源

https://www.kibun.co.jp/knowledge/neri/history/kigen/

コトバンク:蒲鉾

https://kotobank.jp/word/%E8%92%B2%E9%89%BE-466269

コトバンク:かまぼこ

https://kotobank-jp.cdn.ampproject.org/c/s/kotobank.jp/word/%E3%81%8B%E3%81%BE%E3%81%BC%E3%81%93-46575/googleamp?usqp=mq331AQQKAGYAcWxssGxoejlBLABIA%3D%3D