閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

247 閑居苦心外題文字面

 歌舞伎や浄瑠璃の題名を(主に上方では)外題と呼ぶ。漢字で構成され、文字数に制限はないが、奇数で収めるのがならはし。『菅原伝授手習鑑』なんていふのがさうです。念の為に云ふと、“スガハラ デンジユ テナラヒ カガミ”と訓む。ややこしいね。尤も『花街模様薊色縫』は“サトモヨウ アザミノ イロヌヒ”と訓ませる。“花街”を“サト”と訓ませるところで、躓いて仕舞ふよ。かういふ無理やりな訓みは、我われのご先祖の惡い伝統で、元々あつた言葉(この場合は音ですが)に芽出度い字を宛てる習慣があつた(たとへば“ワサビ”に“山葵”の字を宛てる)のが、逆転したのだらうか。いい加減な空想だから、踏み込みはしないけれど、日本語の表記の変遷を、この面から眺めらられば、それはそれで愉快だらうとも思ふ。併し歌舞伎や浄瑠璃の作家は、何を考へて外題をつけたのか。型のやうなものがあつて、凡百の作家は従ひ、さうではない何人かが敢然とその風習に逆らつて、その逆らひが次の流行り…型になつたのだらうか。もつと云へば流行りの字や単語があつたのかも知れず、いやこれも根拠のない空想なのだけれど、作者連の頭には藝術だの文化だの、そんなせせこましいことは浮んでゐなかつたと見立てるのは、大きな誤りとも云へなささうな気がされる。近世藝能史に詳しい方のご教示を待ちたい。

 と。こんな話から始めたのは、この手帖でもしかすると一ばん苦心を感じるのは、題名をつける時だからである。

『本文と関係があつて、関係はありつつ、併し“そのまんま”ではないこと』

これが原則。“そのまんま”が好もしいと思へば(主に食べものの話題)、勿論原則は脇に置くが、例外は例外として扱はなくてはならない。この手帖の目指すところは、丸谷才一や内田百閒の随筆で、いやまあ麓にすら辿り着けてゐないのは、十二分に自覚してゐる。ここは気持ちの部分。“おからでシャムパン(内田百閒)”なんて眞顔の冗談、どうしたら浮ぶものか。これが仮に“おからにシャムパン”や“おからでシャンパン”だつたら、眞顔や冗談の色がうすまつて仕舞ふ。或は“桃源郷のトンカツ(丸谷才一)”といふ奇妙な、そのくせひどく魅力的な題名が、一体どこから飛び出てくるのだらう。両先達が偉大な文學者なのは今さら云ふまでもないし、わたしの浅學菲才もまた同じだから、不思議に思つても当然と云はれたら、それまでだけれども、かういふ題名で、題名に相応しい中身のひとつ、書き上げることが出來れば、この手帖を閉ぢるのに何の躊躇ひも感じない。話が逸れさうなので、力こぶを作つて元に戻しませう。

 何の話だつたか知ら。

 さう。題名をつける苦心。この手帖だと全体を書き上げてから決める。最初から決めることも無くはないが、特定の食べものの話でもない限り、変更になることが多い。先に決めた題名で収まらないわけでもないが、それはごく稀な例外。収まらない大きな理由は着地点が予想外になつて、何かしら捻る必要に迫られるから(詰りわたしの書き方がいい加減といふことになるのだが、踏み込まれると甚だ具合が惡い)である。この場合は、書いた中で題名に使へさうな云ひまはしを探す。最近で云ふと、串焼きを話題にした[たかだか一本百円なのに]は、まあ綺麗に収まつた。或は幕の内弁当を取り上げた[オールスター・キャスト]や、ミンチカツを論じた[我らの父祖が磨いて育てた]は、中身との繋がりも含め、我ながら上手くいつた例かと思へる。讀者諸嬢諸氏の批評は別途お願ひしなくてはならないから、そこは口を噤むとして、問題はある程度にしても満足に到る題名を思ひつくのが稀なことである。わたしの語彙の少なさは改めるまでもないことだが、それらを基にした(まさかそれ以前ではない。と信じたい)言語の感覚が致命的に鈍いのだらうかと不安になつてくる。それとも間違つた方向に凝つてゐるのがよくないのか知ら。落ち着いて考へれば、[オールスター・キャスト]から、幕の内弁当を連想するのは随分と無理がある。自讚はしたものの、その苦心は明後日の方向だつたねと指摘されれば、反論は六づかしい。さう考へれば中身が(漠然とでも)想像出來る『花街模様薊色縫』には及ばないとも云へるわけで、大きに反省しなくてはなるまいか。

 さて、ではこの一文、題名をどうしませう。

 訓ませ方は兎も角として。