記憶に残る映画を記憶のまま、切れ切れに書く。
■友達の家はどこ?
派手な爆發も情熱的な演説も驚異のコンピュータ・グラフィックスも無く、高名な俳優も劇的な物語も無いまま、美しく始まり、美しく終る。山の清冽な伏流水のやうな映画。
うまいものは信心を凌ぐ。もの堅い紳士が、ソップを含んだ瞬間、覚えず頬を綻ばせる場面の微笑ましさときたら。
グロテスクでアイロニカルで惡趣味。併しその中のどれを省いても薄めても成り立たない。キューブリックは何を考へてゐたのか知ら。
■第三の男
チターの音と、下水道の追跡劇と、長いながいラスト・シーンを待つ。"歓喜の歌"を待ちわびる第九の聴衆のやうに。
ジョルジオ・モルダーの手が掛つた版を観た。社会主義が良心的な新思想だつた頃の映画。原語で映像だけを観るのが正しかつたのかも知れない。
賑やかでシンプル。それでゐて後に何にも残らない点で、如何にもアメリカな一本。マクティアナンのちよつとした伏線の張り方は娯樂映画のお手本。
この北朝鮮映画をどうやつて観たのだらう。勿論日本語の字幕は無かつたが、筋立ては大体の見当が附いた。特撮は日本から招聘されたスタッフの担当で中々の出來だが、脚本があんまりなので、映像がかなりシュールになつてゐる。
■雨月物語
筋は全然記憶に無い。溝口健二が創るモノ・クロームの妖婉、京マチ子の銀幕でしか有り得ない美しさと恐ろしさは、今に到つても眼の底に残つてゐる。
■紅の豚