閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

814 板

 先日ですね、例のとほり、獨りで呑んでゐたわけです。惡くないですよ。自分の好きな順に呑めるし、気まぐれに立つてもかまはない。聯れがゐたら、どうしたつて、そつちに気をまはさなくちやあならないでせう。それで泥醉出來るだけの余力はもうなくなつてしまつた。何の話だつたか知ら。

 さう。獨りで呑んでゐたのでした。

 獨り呑みの樂み(のひとつ)は、そこにゐる外の獨り呑みのひとと、不意に喋ることにあるのだが、勿論こつちの都合にあはして酒席が進むとは限らない。それはまあ当然として、その先日ね、気がついたのは、獨りで呑んでゐるお客は大体のところ、スマートフォンを弄つてゐるんですな。

 エウレカ

 と云つていいものかどうか。いや併し、カウンタに坐る獨り呑みの人びとが、かくあるべしと主張するやうに、揃ひもそろつて左手で串を摘み、グラスを持ち、右手で器用にスマートフォンを弄る様を

 「不思議な(或は奇妙な)情景」

と呼んでも間違ひではないでせう。戰前の低賃金労働者が聯想される姿と云つたら、どこかから咜られるかな。

 まあ確かにスマートフォンは便利である。あの板つきれは音樂プレイヤーになり、ラヂオになり、インターネットの閲覧機になり、カメラになり、電話以外の通信機にもなる。すりやあ、たれだつて手離したくないよ、気持ちはわかる。わかりはするが、右手でスマートフォンを握りしめたまま呑むのが、果して旨いのか知らとも思ふです。何しろ呑み屋といふのは呑む場所なんだもの。

 そんなことを考へ、左手で串を摘みながら、右手でこの稿の下書きを作つたのは、いやあ我ながら、なつてゐませんでした。反省の意味を込め、今夜はあの板を家に置いて呑みに行くとします。