霜月も半ばを過ぎると、西上の予定をどうするか、考へを巡らしだす。年末から年始に掛けては例年、休暇を取り、たつぷり休む慣はし…令和五年末から令和六年初頭では、十七日間…にしてゐる。令和六年末から令和七年初頭に掛けても勿論、さうする積りである。
併し例年と異なる要素が幾つかあつて、第一に東海道新幹線が、すべての車輛から喫煙室を廃してしまつた。それで一輛を喫煙車輛に戻すのかと云へば、さういふわけでもなく、何といふか、非文化的な対応ではないか。この時点で残念ながら、"走る居酒屋 こだま號"は運行停止となつた。
第二には、"最繁忙期"といふ考へが導入された点。次の年末では、師走の廿八日及び廿九日、年始は正月四日五日が該当する。叉師走廿七日、卅日と大晦日、正月二日三日が、最のつかない"繁忙期"に指定され…要するに混雑する上に、切符が割高になる。混雑するのだから、すみませんその時期は値引きます、と云ふなら判るけれど、 それで高値を附けるのは釈然としない。
これらから、令和六年末の西上、令和七年初頭の東下は、ほぼ自動的に、<"(最)繁忙期"を除いた日>のいづれか、且つ<のぞみ號乃至ひかり號>を撰ぶことになつた。
では<"(最)繁忙期"を除いた日>のいつにするか。
令和五年末は、師走廿三日の土曜日に西上してゐる。
令和六年末の、師走廿三日は月曜日である。
どうせ休暇だから、曜日は考慮せずともかまふまい。年末には、多少早い時期の平日でもあり、新幹線もさうは混雑しないだらう…と期待も出來る。この日程でよろしからう。
のぞみ號かひかり號かは、今のところ決めずに措く。ダイヤグラムは後で確めるとして、どちらに乗つたところで(こだま號に較べれば)、大して時間は掛からない。
「車内で罐麦酒とサンドウィッチ(叉はかるめのお辨當)を平らげられるくらゐの時間帯に乗らう」
日程はその程度に留め、寄り道に就て、考へを移す。これは毎年考へては、時間やお財布の都合で、毎年却下してゐるのに、私は懲りない男なんである。
<東海道新幹線の停車驛で、東京から新大阪の間>
その條件で東京から近い順に云ふと、先づ小田原が浮ぶ。令和五年末は、ぎりぎりまで候補にしてゐた。手元のメモ帳に、呑み屋の名前が残つてゐる。一驛進めば早川の漁港があり、朝から一ぱい樂めるのも有難い。但しそんなら、寄り道するより、目的地にする方が好もしい。
西にと飛べば、浜松も浮ぶ。何の縁もないけれど、あすこは餃子が有名だから、一ぺん満喫してみたい…だけで、實のところ、他に知るところがない。知らない町を、知らないまま訪ねるのも惡くはなからう。さう思ひはしても、ごく限られた時間をそこに使ふのは、どうも躊躇はれる。
更に西へ進めば、名古屋がある。何十年前だつたか、一度泊つた。あの時は東京から、東海道本線の各驛停車だけを乗り継ぎ、やうやく辿り着いた。ひどく疲れてゐた所為で、記憶が殆ど残つてゐない。一晩足を留め、名古屋からは近鉄特急を奢る(とは云つたつて、新幹線よりはぐつと廉だが)経路も考へられなくはない。
ここまで書いて、いきなり我に返ると、小田原や浜松、或は名古屋で降り、交通費だの泊りの代金にお小遣ひをあてるなら、のぞみ號(乃至ひかり號)のグリーン車を使つたり、罐麦酒や葡萄酒やお摘みに贅沢をする方が、よほど眞つ当なのは間違ひない。とは云ふものの、それだから今の時点で断ち切るのも勿体無い。予定が確定に到るまでは、その隙間に好き勝手な見込みを詰め込める。
「旅行をする時は、気が付いて見たら汽車に乗っていたという風でありたいものである」
とは尊敬する吉田健一の、「金沢」と題された短い随筆(中公文庫の『汽車旅の酒』に収められてゐる)の冒頭で、流石あの呑み助…批評家と随筆家も兼ねてゐた…は、解つてゐるんだなあと思ふ。"という風でありたいものである"と云ふのは詰り、實際はさうではなかつたからで(解説を讀むと、その事情は理解出來る)、不意に家を出て、汽車に乗つて、そのまま金沢でも呉でも、行ければいい…と常日頃、考へてゐたのを、書いたのだらう。吉田はきつと、原稿用紙を前に
(今から出たら、東京驛何時發の夜行列車に乗つて、どこそこに行ける。着到は朝の何時頃。さうしたら円タクで何々まで走つて、先づは麦酒。それから、それから)
などと、"気が付いて見"た時の自分を、あれこれと想像し、さうすることで、架空の旅行を樂んだにちがひない。愉快だつたらうな、きつと。こんなことを云ふと、熱心で眞面目な吉田のファンから、苦情が出る不安もあるけれど。
咜られるのはこまるから、話を我が身に引寄せる。何しろこの稿は、金沢行ではなく(訪れたい町ではある)、西上に就てであつて、何故こんなに逸れたものか。さう。どこかに道草するかどうかだつた。併し西上と旅行はちがふ。さう見立てるのは誤りではない。誤りではないが、私の西上は移動自体、樂みであるから、正しいとも云ひ難い。但しここで西上を、東京驛から新大阪驛の間に限ると、間違ひになつてしまふ。陋屋を出てから、中野新宿の両驛を経て、東京驛まで行くどこかで、立ち喰ひ蕎麦を啜るのも、新大阪驛で新幹線を降りてから、驛と一体になつてゐる地下街を歩き序でに、適当な一軒で、一ぱい引つかけるのも叉、移動の樂みに含まれる。含めねばならない。小田原や浜松、名古屋の町を浮べたのは、車内のお酒やお辨當は勿論、立ち喰ひ蕎麦や、地下街の適当な一軒の延長なので、さういふ"仮の予定"も、移動の樂みと思へば、無碍にしては損になる。