閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1191 大蒜を揚げたのを

 匂ひがきつくつて、山門に入れない野菜を、纏めて五蘊と呼ぶ。背景には色々な事情が隠れてゐるんだらうが、この稿では踏み込まない。葱や韮を大きに好む私にとつて、くぐれない場所が山門であることは、確實である。
 焼き葱。
 韮だつたら玉子焼きやおひたし。
 玉葱は水にさらしても、フライにしてもうまい。
 要するにお酒…麦酒や焼酎や葡萄酒も含めて…の素晴しいお供になるのが五蘊で、クリスチャンやムスリムに、かういつた類の禁忌はあるのか知ら。獸肉魚肉は兎も角、野菜にはなささうに思へるが、疑問はさて措き。
 ところで、五蘊の中でも私が特に好むのは、大蒜である。いつ頃、何を切つ掛けだつたのか、丸で記憶にないけれど、たとへば炒めもののお皿から、大蒜の香りが立つてゐると、嬉しくなる。但し擦りおろしたのを山ほど使つたりするのは感心しない。使ひすぎは他の味を殺してしまふからで、控へめな扱ひが樂めるこつだと思はれる。
 併し何事にも例外はある。焼きと揚げがそれで、大蒜を直かに味はふ為の調理法は、どちらかではなからうか。それで焼きも揚げも、案外に六つかしさうな感じがする。上手に火を通した大蒜は、歯触りが何とも快く、野菜に共通する甘みと、特有の辛みの両方が共にあるんだが、さういふ出來にあへる機會は多くない…といふより少い。単純きはまりない調理法の分、料る側に技倆が求められると云へばいいか。

 某日の夕方、某所の某呑み屋で白板の品書きに、大蒜揚げと書いてあつた。成る程これは註文せざるを得ないから註文した。さてどんな風に出してくるものか。皮を剥かずに丸ごと揚げて、味噌を添へるのはよく見掛ける。
 暫く待つて出てきたのは、粒を取り出して揚げたのに、胡麻油をうすくたらし、白胡麻と葱をあしらつた小鉢で、ほほうと思つた。お箸の扱ひが苦手な男としては、多少の困惑があつたのも、こつそり白状しておきたい。
 摘んだ。
 熱い。
 惡くはない…が、手を拍つほどでもない。熱さに加へ、胡麻油だの葱だのが、大蒜の風味を邪魔してゐる。火の通し具合も稍、過ぎたらしく、苦みがあつたのも残念な点。
 とは云へ。粒大蒜を揚げたのは好もしい。白板の品書きは臨時だから、大将の手が馴染んでゐなかつたと考へられて、であれば、もちつと好もしくなる余地は残つてゐる。尤もさうなるには、大蒜を何粒も揚げ、余分を取り除く必要があつて、完成に到るには實に面倒だとも想像出來る。

 もしかして山門が五蘊を拒んだのは、料る面倒の所為だつたのではあるまいな。