閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1190 鶏からに、ちよつと足す

 腹を減らしつつ、呑み屋に入つた時、最初に戀しくなる一品に、鶏の唐揚げを挙げるひとは少くなからうと思ふ。私も例外ではない。この稿では、親愛の情を込めて、鶏からと呼ぶ。鶏からと麦酒の相性は、もつ煮と焼酎ハイ、秋刀魚や鯵とお酒のコンビに匹敵する好しさであらう。
 揚げたてが出來る。
 素早くかぶりつく。
 それで麦酒を呷れば大団円、と唸りたくなる。空腹の場に限るなら、文句無しに一等賞を差し上げてもよい、とも思へてくる。かう云つて、膝を打つてくれる讀者諸嬢諸氏とは、乾盃したい。いつどこで乾盃するかは、別の話題として。
 併し鶏からは、冷めると覿面に味が落ちる。衣に気合ひの失せた鶏からほど、残念に思へるお摘みもない。さつさと食べれば済むのは判るけれど、いつもさうさう、都合もよろしく進むものか。

 なので我われ鶏から愛好者は、どうしたつて、味を調へる方策に目を向けざるを得ない。

 基本的に液体は避ける方がいいと思ふ。殆ど唯一の例外は醤油だが、その醤油とて、衣の上への打ち掛けではなく、囓つた後の肉の面にちよいと滴して、本領を發揮する。
 後は塩に粉山椒、或は七味唐辛子、(黑)胡椒、粉末にした大蒜、擦りおろした生姜。まあこの辺に、マヨネィーズで更に変化を加へる、といつたところか。ここで大事なのは、何を撰ぶにせよ、衣の味つけに留意しつつ、呉々も
 「鶏から全体には施さないこと」
であらう。小皿を用意して、調味はそつちでおこなふのが理想だが、それが無理でもお皿の隅に"鶏からの味を調へ、叉変化をつける場所"を確保するのが望ましい。
 こんな風に主張したら、たかが鶏から、そんなに堅苦しく考へなくたつて、かまはんぢやあないの。など冷製乃至冷淡な反応も寄せられさうで、堅苦しいかどうかは兎も角、この辺に樂みを見出だせないひとは、どうやつて酒席を過ごしてゐるのか知らとは思ふ。余計な心配なのだらうな。

 画像は行きつけの呑み屋で…そろそろかう云つても、許してもらへると思ふ…出す鶏から。ここでは何故だか、当り前にマヨネィーズを添へてくる。最初は面喰らつた。併しやや濃いめな味つけの衣には、中々似合ふ。しつつこいと見ることも出來るけれど、鶏からを序盤のお摘みと位置附ければ、これくらゐでよささうにも思はれる
 惜しむらくは粉山椒が適ひさうな味つけなのに、この呑み屋には置いてゐない。残念だが、かと云うて自分で買つたのを持ち込むのは憚られる。次に鶏からを食べる時にでも、店長にひとつ、置きませんかと、話をしてみませう。置いてもらへれば、鶏からに"ちよつと足す樂み"が増えるし、この店の主なお摘みである串焼きに転用も出來る。