ジョン・モンタギューといふ名前に聞覚えのあるひとは、きつと少ないと思ふ。17世紀の英國人で伯爵。3度に渡つて海軍大臣を歴任し、ジェームズ・クック…キャプテン・クックと呼ぶ方が通りがいいだらうか…を支援した人物でもある。西班牙や葡萄牙といつた、カトリックの大海洋帝國が緩かに没落し、プロテスタント系の英國が威勢を伸ばしてきた(決定的になるのはトラファルガー海戰を経てからだが、これはかれの死後)時期、海軍のトップを任されたくらゐだから、優秀な官僚だつたのだらう。モンテスキュー(30歳ほど齢上だが、ほぼ同世代と考へていいでせう)とごつちやになりさうで困るのだが、これは世界史に疎いわたしの事情。…かう説明してもまあ、ぴんとこないでせう。ご尤もです。尤もですがここで、第4代サンドウィッチ伯爵のことですよ、と云ひ添へればどうだらう。なーんだ、かれのことかと膝を打つひとが多いのではないか。
さう。今回はサンドウィッチ(サンドイッチ?サンドゥィッチ?)の話。
いきなり云ふと、モンタギュー伯爵がサンドウィッチを發明したのは伝説です。小麦やライ麦、玉蜀黍の粉を捏ね固めて焼いた食べものは、古代の羅馬や印度、南米にもあつて、そこに何かしらを挟みまたは乗せる(或はソップなり何なりに浸す)食べ方がなかつたなど、考へられないでせう。貴女はさうしませんか。わたしなら絶対、さうするね。それにモンタギュー以前から、bread and meat とか bread and cheese といふ呼び方はあつたさうだから、英國…倫敦でさういふ形式の食べものが認知されてゐたとみるのは、寧ろ自然な見方だと思ふ。となると、何故あの食べものをサンドウィッチと呼ぶようになつたのかと、さういふ疑問が浮んでくる。モンタギューの時代で云へばハノーヴァーとかジョージ、或はゲオルクでもいいぢやあないか。同時代に發見された天王星は当初、当時の英國王ジョージ3世に因んで Georgium Sidus (これは羅典語で"ジョージの星"くらゐの意)と名付けられたくらゐだもの。
そこで佛人旅行家のピエール・ジャン・グロスレといふひとが書いた『ロンドン』(1770年頃の刊行)に少し、目を向けてみませうか。そこにはかういふゴシップが記されてゐる。
「大臣は24時間、賭博台から離れず、2枚の焼いたパンに、牛肉を挟んだものを食べながら、ゲームに興じる」
ここで書かれた大臣がモンタギュー。あの有名な發祥伝説はこの一節によつてゐるんです。ただどうも、これは可也り怪しいね。確かにかれは賭博を好み、"地獄の火"といふいかがはしいクラブにも出入りがあつたさうだが、仮にも海軍大臣が24時間、ゲームに興じられるものか知ら。偶さかの休日にお客を招いて、ブリッジくらゐは愉しんだとしても、さういふ時はちやんとした食事を用意させたにちがひない。それにこのゴシップ、調べた限り、他に触れられた形跡が見当らない。上流階級の噂話が大好きな倫敦人が、口を噤むとはとても思へないよ。
では實際のところはどうかと想像するに、殺風景だつたらう。激務に激務が重なつて、食事の時間もまともに取れず、やむ事を得ないと
「パンを2枚焼いて、ビーフを挟んだのを持つてきなさい」
さう召使ひに云ひつけたのではないか。これなら冷めてもまづくないし、片手でつまめて汚れる心配も少ない。命令書に署名をし、手紙を書き、或は報告書に目を通しながら、ぼそぼそ口を動かしたのだらう。我ながら無愛想な想像だなあ。これぢやあ生眞面目に残業する銀行員みたいだよ。とここでわたしはどこかで讀んた一文を思ひ出す。元本が見つからない(だから筆者の名前も出さない。お許しあれ)ので、記憶で大意を書くと
「歴史にはある時代を担ふのに相応しい國が、その時代を担ふ。たとへば16世紀は、個人の冒険が國家の栄光に直結した時代で、さういふ野心家を輩出させ易かつた西班牙や葡萄牙が、巨大な版図を得た」
「100年が経つて、さういふ國家運営がどうにもならなくなつた頃に、國家を精密な機械のやうに運用する術を持つた英國が現れて、大帝國を作り上げた」
「17世紀の英國人は、自分が國家や軍隊を構成する歯車であることを自覚し、誇りにも思つてゐて、ホレーショ・ネルソンがトラファルガーで戰死する間際、私は義務を果たしたと呟いたのは、そのひとつの顕れであらう」
筆者はこの前後、教会にすべてを任せてゐたカトリックと、信者個人が神と契約するプロテスタントの差違…優劣でなく…を指摘もしてゐた。人種や民族でなく、信仰のあり方が國家や個人の行動に与へる影響といふのは、面白い視点だと思ふ。これが誤りかどうか、判断する能力は持合せがないので、讀者諸嬢諸氏にお任せしたい。こちらはサンドウィッチの話を續けますよ。モンタギュー伯爵はまさしく17世紀の英國人であり、爵位を持つ貴族でもあり、従つて自分が、國家といふ精密機器の歯車(それも重要な)であると自覚してゐただらうと推測出來る。ビーフを挟んだ2枚の焼いたパンは、最上の意味でのノブレス・オブリージュを象徴してゐなかつたらうか。上記の記憶は、さういふ空想の支へになりさうな気がする。
尤も労働者階級が、伯爵の義務感に感銘を受けてゐたかといふと、こちらは疑はしいな。パブでエールを引つかけながら
「海軍大臣の話、聞いたかい」
「なんだい、その話つて」
「めしを喰ふ時間もなくつてさ。仕方なくブレッド・アンド・ビーフをつまんでるんだぜ」
「ははは。そいつは気の毒だな。ところでどうだい、哀れな伯爵の為に、"same as Sandwich"でもう一ぱい」
セイム・アズ・サンドウィッチは"サンドウィッチと同じものを"くらゐの意。勿論この場合のサンドウィッチはモンタギューを指す。ごく気樂なブレッド・アンド・ビーフは、かう呼ばれた途端、貴族の食べものといふ意味合ひを含むことになつて、倫敦人の間で大流行したのではなからうか。佛人グロスレが見たのは、その辺の労働者連中がしきりと"サンドウィッチ"と云ふ光景で、旅行家だもの
「何です、その"サンドウィッチ"といふのは」
と訊ねたにちがひない。当時の倫敦人が佛人をどう見てゐたかは判らないが
「モンタギュー伯爵つていふ海軍の大臣がね。どうにもかうにも博打好きで」
さう出まかせを吹き込んだ可能性はあるんぢやあないかな。もしかすると、場末の賭博場ではお客にブレッド・アンド・ビーフを出してゐて、法螺吹きはそれを知つてゐたのだらう。モンタギューが労働者に好感を抱かれてゐたかは兎も角、有名人だつたのは間違ひない。それにこの場合だと、王様より大臣の方が、法螺や皮肉の毒は効果的だし、話の流れも割りと綺麗に纏まるでせう。根拠があつて云ふのではないから、他のひとに自慢して、恥をかいても責任は持ちませんよ。
と、ここまでが前置き。
要はサンドウィッチはわたしの好物で、色々調べてみると、かうなつて仕舞つたのです。この手の話は、紅茶の時間の種にはなるだらうから、どうぞご利用ください。
伯爵の時代から、ざつと2世紀半下つて産れた赤ん坊のひとりがわたしで、初めてのサンドウィッチは母親が作つてくれたものだつた。たれだつてそんなところでせう、と云はれるだらうが、かういふ初体験は重要ですよ。ある食べものの印象はこの瞬間に大半が決まる。たとへばきつねうどんのお揚げはふくふくあまいとか、肉じやがに用ゐるのは牛肉とか、ポテト・サラドの馬鈴薯は丹念に潰してゐるとか、他にもまあ挙げられるんだが、論じてゆくと話が大幅に逸れるので、そこは我慢しませう。サンドウィッチがそこに含まれるのは改めるまでもなく、わたしの場合はおほむねかうだつた。
食パン(2枚)はトーストする。
またパンの耳は落とす。
使ふのは主に潰した茹で玉子のマヨネィーズ和へか薄焼き卵、スライスしたトマト、薄切りの胡瓜、千切つたレタス、スライス・チーズ、ハム。
トーストした食パンにマーガリンまたはバタを塗り、上の具を乗せ挟んで、軽く押し、三角に切り分ければ出來上りだつた。さて、我が讀者諸嬢諸氏よ、如何でせう。飛び抜けて珍妙ではない筈だが、何かかう、しつくりしないなあと思はれる方も少なくないでせう。その気分は想像が六づかしくない。わたしだつて、貴女のサンドウィッチの話を聞けば、旨さうと思ひつつも、しつくりしないものを感じるだらうもの。その辺はお互ひ、寛容にいきませうよ、ね。
とは云ふものの…些か強引に話を戻すと、母親乃至身近な大人のサンドウィッチが、すべてでないのは当り前の話。ツナの罐詰やハムカツやコンビーフを使はなくて、何のサンドウィッチか、と苛々してゐた讀者諸嬢諸氏には申し訳ない。何しろわたしが少年だつた遠い昔、そんなハイカラな具はなかつたものでねえ。それでひとつ、思ひ出したのは、それでも30年近く前、社員旅行で乗つた特急電車内で食べたサンドウィッチ。罐麦酒のお供につまんでゐたら、先輩だつたか上司だつたか(勿論いい具合に醉つてゐる)に、洒落た眞似をしやがつてと大笑ひされて、まつたく照れくさかつた。そして照れくさがりながら、かういふのが恰好いいのかなあとも思つてゐた。
ここで考へてみると、賭博台と執務室と特急電車の座席には、共通点がある。食事をする場所ではないことで、さういふ場所で何かを口にするなら、片手でひよいとつまめるものが望ましい。ある程度お腹に溜つて、旨ければ更に宜しい。かう條件を挙げると、サンドウィッチは理想に近い食べものではないか知ら。ソースやクリームがはみ出すのは困るけれど、モンタギュー式のビーフだつたら、その心配もしなくていい。今夜は廉な牛肉の切れ端でブレッド・アンド・ビーフを作らうか。勿論その横には、母親風のトースト・サンドウィッチも忘れずに。