閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

431 ハポンなチリー

 辞書でチリー・ソースを調べると、chili sauceと綴る。ざつと"トマトに唐辛子などの香辛料、塩や砂糖、酢、更に玉葱や大蒜やセロリーを加へ煮詰めた"ソース。

 ここで云ふ唐辛子(序でながらナス科の植物。トマトやタバコの親戚でもあるさうです。知らなかつた)はメキシコ辺りが原産のチリー・ペッパーを指す。我われにはきつと、海老のチリー・ソースで馴染み深い、辛くて酸つぱくて甘みもある、複雑な味はひのソースと云へる。

 尤も大抵はさほどに美味しくない。

 残念ながら。

 単にからいだけでなければ、妙なあまさが際立つてゐる。さういふ事が少くない。

 残念ながら。

 酢豚のあんがひどく甘つたるくて、がつかり…ひよつとするとうんざりした経験は幾度もあつて、多くの場合それはケチャップの所為である。チリー・ソースでもどうやら事情は変らないらしい。ケチャップが惡いわけでなく、まづいわけでもないのだが、酢豚のあんやチリー・ソースで

 「これあ、ケチャップを多用してある」

と感じられるのは大体のところ、食べても感心しない。ナポリタン・スパゲッティやホット・ドッグなら、たつぷり使ふのが寧ろ望まれるから、使ひ途次第なのだと、ごく当り前の結論に到るのだけれど。

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 トマトとチリー・ペッパーが基本といふから、元を辿れば南米のソースなのだらう。玉蜀黍の粉を麺麭のやうに焼いたのにつけたり、鶏肉を煮込んだりしたにちがひない。今でもさうかも知れず、メキシコやブラジル、チリ、アルゼンチンのめしは食べた事が無いから、その辺りの詮索は措く。

 さうなると海老のチリー・ソースに転用したのはいつ、どこのたれが思ひついたのか。南米にも海老料理はあるとしても、海老のチリー・ソースにその気配は感じられない。具を炒めてやはらかなあんを掛けるのは中華料理の手法かとも思はれるが、トマトが東アジアに渡つたのは余程遅い。そこからソースを自國流に仕立て直し、(ある程度にせよ)一般的になるには時間が短すぎる気がする。

 詰るところよく判らない。

 まして画像の、これは"揚げ鶏のチリー・ソース"といふ名前で出された料理だが、かういふのは中國にも見当らないのではなからうか。魚や肉を焼いて蒸して、一ぺん冷まして更に揚げ、あん…ソースと呼んでもいい…を掛けるのは、中華の料理人にはきつと、珍しくもない技法だらうとして、そこにチリー・ソースの入り込む余地があるものか知ら。さう考へると、海老や揚げ鶏をチリー・ソースで食べさすのは

 「洋風のソースを、中華料理の技法に転用した、日本式の調理法」

ではないかとも思へてくる。記録を確かめたわけでなく、傍證があるわけでもなく、要するに空想の域を出ない。博學の士のご教示を待ちたい。

 ややこしい事を述べたが、ケチャップに頼らない(使はないの意ではない)チリー・ソースを用ゐた一品は美味いのは間違ひなく、揚げ鶏に用ゐられたチリー・ソースもそこに含めていい。いちいち口煩く、生姜と大蒜をも少しあしらつてもらひたかつたとか、葱はこの際青葱を刻んだのより白葱をざくざく入れて慾しかつたとか、今少しとろみは控へる方がよかつたとか、揚げ鶏の皮が少々物足りなかつたし、衣にはもちつと気を配つてもよかつたかなとか、云へなくはないけれど、それはわたし一個の好みで、適はないのをこの一皿の瑕疵とするのは筋がちがふ。その手の面倒な文句ははふり出して、十分に旨い。南米の友人がゐればこいつを奢つて

 「どうだい。ハポン・スタイルのチリー・ソースさ」

と胸を張つてみたい。かれらが歓ぶかどうかの保證は無いにしても(麦酒は慾しがるにちがひなからうなあ)、國際問題に發展する恐れは無からうかと思ふ。