閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

602 玉葱に就て

 栽培される野菜として、記録に残る最古の部類に入るのが玉葱である。メソポタミヤの粘土板に"決定版 玉葱レシピ"が記されてゐるさうだ。もう千年ほど遡つて、ファラオがピラミッドを建てさせる時、労働者に配給したといふ記録もあるらしいから、あの辺では馴染み深い野菜だつたのだらう。尤も野生の玉葱は發見されてゐない。三千年以上前、労働者のランチだかディナーだかに、"こう、飯だぜ"と配給出來たくらゐだもの。その頃には既に、野生種は無くなつてゐたとしても、不思議ではないよ。もしかすると、動植物に関らず、文明が絶滅させた種の最初のグループに、玉葱の原種は含まれるのだらうか。

 文明批判は措いて、のんびり進めませう。

 メソポタミヤの大文明人や、エジプトの支配階級は、玉葱をどんな風に食べてゐたのか知ら。尤も当時の玉葱(とその他の食べもの)が、現在の種と同じとは限らないから、決定版 玉葱レシピ"の通りに作つても、その時の味が再現される保證は無い。ラムやビーツ、鶏と一緒に焼いたり煮たりしたらしいが、そもそも粘土板レシピは

 ・ラム肉二百グラム(角切り)

 ・ビーツ二百グラム(賽の目)

 ・玉葱中サイズ一箇(微塵切り)

などいふ丁寧さとはまつたく無縁であつた。ざつと確めた限り、何々にはこれこれを使ふ程度…饂飩の項に小麦、昆布、醤油、塩、砂糖と記してあるだけなのと同じ…で、廿一世紀にこんな"レシピ集"を出版したら、今なら炎上と云ふんですか、そんなことになるにちがひない。まあ当時の料理人にとつては備忘録程度の役割で、後はその時の気分で(微)調整してゐたのかも知れず、歴史の奥は深いねえ。

 玉葱の話をしますよ。

 ペルシア辺りが原産と目される…古い記録があるから、栽培以前からあつたのだらう…あの野菜は、中央アジアから地中海の文明圏で、大蒜(こちらも中央アジア原産らしい)と共に愛用された。栽培が困難なわけではなく、常温で長期の保存が出來るタフネスがあり、労働者や兵隊への藥効…滋養強壮も期待されたからだらう。また少々やれた獸肉を誤魔化す為にも使はれたのではないか。大建築と戰争と、その後の酒宴の様を思ふに、あの辺りの古代文明群は、まことに烈しくまた、猛々しかつたのだな。

 日本で本格的に玉葱を食べだしたのは、明治以降といふ。あつちに較べて三千年は遅い。中原にはもつと前に伝はつてゐた(藥草扱ひだつたらしい)から、倭人が知らなかつたとは考へにくい。余程に興味を惹かれなかつたのか、"我が國で育てるのは無理だな"と判断したのか。中原でもごくマイナーだつたので、噂しか聞かなかつたとも想像出來る。玉葱伝來の前に佛教がきたのも、具合が惡かつた。第一に殺生をきらつた所為で、肉食が發達しそびれた。また五葷といつて、匂ひのきつい野菜(韮や大蒜や葱の類)を遠ざけもした。時代が下つて、南蛮船が玉葱を積んでゐるのを見ても(保存食として使はれた可能性はあると思ふ)、我われのご先祖は大して興味を示さなかつたのではなからうか。勿体無い。

 玉葱は實に応用の利く野菜である。曖昧な記憶で書くと、椎名誠はキャンプでめしの準備に掛かる時、何を作るにしても、玉葱を刻んで炒めるところから始めたさうで、キャンプのめしだから、條件が色々狭まつてゐるんだなとは思ふが、肉だらうが魚だらうが、焼くも煮るも蒸すも、炒めた刻み玉葱があれぱ、どうにか(或はどうにでも)なりさうである。バビロニアやエジプトやギリシアの下層民が貪り喰つた玉葱めしもまあ、"どないかしたぞ"といふ意味ではおんなしだつたらう。併し玉葱の役割を底辺に押し込めては損をする。

 薄切りにしたのを水に晒して、削り節をわさわさと掛け、醤油を垂らすのがきつと、一ばん簡単な食べ方だらう。しらす干しを混ぜてもいいですな。麦酒のつまみに好適である。粗く刻んだのを炒めて、ポテト・サラドに入れるのもいい。小海老と一緒に掻き揚げに仕立ててよく、丸ごとソップで柔らかく焚いて旨いし、串に刺して焼いたのも宜しい。カレーとシチューと肉じやがから玉葱を抜いて、何のカレーやシチューや肉じやがかと思ふ。試したことは無いのだが、玉葱をすりおろす手法もあるさうで、分厚い豚肉を浸け込んで焼けば、きつと旨いよ、これは。

 何年前だつたか、友人ふたりとドイツ風のビヤ・ホールで酒席をもつた。そこでザワー・クラウトやソーセイジと一緒に玉葱のフライを註文した。メニュの冩眞だと、花が開いたやうな姿が、實に旨さうに思へたからで、併しその判断には些かの誤りがあつた。小振りの玉葱が愛らしい花を咲かしてゐると思つたのだが、出てきたのは貫禄たつぷりの大輪の玉葱花だつたから驚いた。三人で平らげるにしても多すぎて困惑した(どないせえ、ちふねン)のは、忘れ難い。ドイツとドイツ風料理とビヤ・ホールの名誉の為に云ひ添へると、その玉葱フライ…さうだオニオン・ブロッサムとかそんな名前だつた気がする…は、量を別にすれば、ウスター・ソースとマスタードのソースが似合ふ、旨いものであつた。粘土製"決定版 玉葱レシピ"には載つてゐないと思ふ。

 もうひとつ、メソポタミヤ人が知らなかつた使ひ方に、お味噌汁の種ものを挙げたい。あはせ味噌で作る当り前のお味噌汁に、薄く切つた玉葱とざつくり溶いた卵を入れる。玉葱のほんのりした甘みと、やはらかい卵の組合せがいいものです。ごはんに打掛けるのもいいのだが、母親が作つてくれたの以外は、お目に掛つた記憶がない。お味噌汁界の保守本流ではないのだらう。旨いのにな。不思議である。玉葱を汁ものに使ふこと自体は珍しくない筈で、ブラック・ペパーをたつぷり利かせたオニオン・ソップを自慢したり、彼氏に振られた女の子が玉葱のソップを見つめる唄があつた。かういふ微妙な心情も古代人は知らなかつた、と云へば、おれたちは荒々しいだけぢやあなかつたのさ、と批判されるだらうか。