閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

845 曖昧な焼賣

 餃子や春巻と較べて、焼賣にはどうも地味な感じがある。大体、"焼イテ賣ル"つて何だらう。と思つたら焼麥と書くこともあるさうで、"麥"と"麦"は同じ意味らしい。併し焼賣(以降はこの表記にしますよ)は蒸し料理だと気がついた。"焼"の字を当てるのはをかしい。念を押すと、まづいとは云つてゐない。目の前にあれば食べるし、旨いとも思ふ。但し品書きに餃子があり春巻がある中、焼賣を積極的に撰ぶかと訊かれたら、首を傾げてしまふ。おれの中の焼賣はまあそんな位置にある。裏を返せば品書きに餃子や春巻が見当らない場合、焼賣を撰ぶことはあるわけで、画像はその時に撮つた。

 見てのとほり、大振りなのが三つ、それから辛子が添へてある。おそらく仕上げにうすく胡麻油を塗るか垂らすかしてゐる(香りが立つてゐた)のが面白い。なのでひとつ目はそのままで食べた。惡くない。好みより稍淡泊か。二つ目は半分に割つて、片方は割つた面に辛子を塗つて試した。辛子だけだと刺戟が立ちすぎる感じがする。残る片方は割つた面に醤油を数滴垂らし、ほんの少し辛子を置いて食べた。これが一ばん好みに適ふと思つた。かういふ手順を踏んだのは、三つ目で"最良の"食べ方をしたいと思つたからで、最初から辛子醤油に決つてゐれば、わざわざ試しはしない。

 うーむ、深謀遠慮とはこのことだなあ。

 自讚しつつ、さて焼賣に適ふ呑みもの…勿論アルコール…は何だらうと思つた。崎陽軒シウマイ弁当なら麦酒と結びつく。横濱のスタジアムでベイスターズの試合を見物した時の組合せで、膝に置いたお弁当をつつきながら、左手に持つた紙コップの麦酒をあふり、ベイスターズに聲援を送り、相手チームには野次を飛ばしたから、随分とせはしなかつた。あの球場の麦酒賣りのお嬢さんは、野球好きの可愛らしい娘さん計りだつたなあ。次のシーズンには、久しぶりに足を運ばねばなるまい。

 限定的に過ぎる組合せであつた。

 野球場ではなく、呑み屋の卓に焼賣があつて、では何を呑まうか。麦酒があはないわけはないとして、ベストとは断定しにくい。中華に源があるのだから、紹興酒でよささうにも思へるが、辛子醤油との相性はどうだらうと疑問は残る。餃子や春巻なら、ひとまづ麦酒を引つかけ、紹興酒や焼酎に移るのはなだらかなのに。いや別に呑まねばならぬとは限らないと考へられはして、併し焼賣がごはんのおかずになるかといふと、どうか知らと云はざるを得ない。なつてもそれは、ごはんの懐の深さゆゑで(前段のシウマイ弁当は、他の近しいお弁当が浮ばないことからも、例外といつていい)、焼賣の手柄ではなささうである。

 ここまで書いてやうやく気がついた。

 お摘みにするとして、何を呑めばいいか曖昧であり、定食の主役を張るのも六つかしい。要するにふはふはしてゐる。その曖昧ふはふはが、焼賣を地味に感じさせる原因ではなからうか。ここは矢張り焼賣でなくちやあ、と思へる時と場所がないと、餃子や春巻に相手に不利なのは間違ひない。そこで気になるのは華人が焼賣をいつどんな風に食べ、また何を呑むのかといふ点になつて、どうせこちらの予想にない食べ方呑み方があるのだらう。尤も案外あちらでも困惑の種かも知れないと想像すると、何ともいへない笑みが浮ぶけれど、實際のところは知合ひがゐないから解らない。