閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1146 蒟蒻といふ奇妙な食べもの

 自分から進んで、蒟蒻を食べる機會は多くない。

 もつ煮や筑前煮き、肉じやがに入つてゐるのは、蒟蒻が目的ではないから、省くとして、後は精々がおでん、それも糸蒟蒻を結んだやつくらゐかと思ふ。板状のは、お皿にあれば食べる程度。尤も

 (旨くもない…といふか、大して味もしないのになあ)

と思ひながら囓る。そもそも原料となる蒟蒻芋には、毒性があるから、生では食べられない。砕いて水で練り、灰汁を混ぜ、煮固めてやうやく、食卓に供せるに到る。手間の掛かること、この上ない。そのくせ、栄養滋養に富んでゐるかと云へば、さうでもないのだから、我われのご先祖が、蒟蒻(芋)にこだはつた事情はどこにあつたか、推測も六つかしい。

 

 食べられない材料なのに、食べられるよう手を加へると云へば、北陸のどこだつたか、河豚の肝の糠漬けが浮ぶ。肝を塩でどうとか下拵へして、糠に二年とか三年、漬け込むと、毒が抜けるのだといふ。私の知る範囲だと、どんな仕組みでさうなるかは、未解明の筈である。要するに経験則だけで漬けてゐて、だから商賣に出來る店だか會社は、ごく限られると聞いた。企業の数は兎も角、北陸がそこまで工夫しないと餓ゑる土地柄とは思へない。では何を切つ掛けにすれば

 (河豚肝を糠漬けで、何年かはふつておかう)

などと思ひつけるのか。河豚の肉が美味いんだから、内臓だつて美味いに決つてゐる、と考へるところまではまあ、判らなくはないにしても。

 尤も河豚の糠漬けは、食べたことがない。遠くない将來、北陸に足を運んで、蛍烏賊と共に、あつちのお酒…北陸には素敵な銘柄がたくさんあることだし…で確めねばならんと思つてゐるが、この稿では措いて、蒟蒻に戻りませう。

 

 あの奇妙な食べものの、奇妙な魅力は、歯触りに尽きさうである。獸肉でも魚肉でもなく、ハムやソーセイジとも異なり、蔬菜や果物ともちがふ。あの弾力はなんと云ふか、蒲鉾が近い気もするが、較べたら別ものと感じるだらう。

 歯触りに加へるなら、糸蒟蒻…結び蒟蒻には、つゆが絡まる樂みがある。私がおでんで一ぱい呑む時に

 「結び蒟蒻を、頼みます」

と註文する理由は、この辺りに集約される。辛子の溶けたつゆが、その隙間に入り込んで、つんとくるのが快い。蒟蒻は出汁や他の味が染み込まない。おでんの種で云へば、大根や厚揚げと、その点が大きくちがつてゐる。煮込んでゆく調理法には不似合ひにも思はれるが、結び蒟蒻自体、大して味を持たないのがこの際、具合がいい。詰り辛子の溶けたおでんのつゆを、そのまま囓れることになる。これなら冒頭を撤回し、進んで食べてもいいと思ふのだが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には如何だらう。