令和七年"も"GRⅢだつた、謹んで訂正しておく。
[令和七年の物慾]でマイクロフォーサーズ云々と書いた記憶はあるけれど(たれですか、"既に忘れたのかね"と呆れてゐるひとは)、私の主力がGRⅢであることに変りはない。
尤も令和六年、そのGRⅢを使ふ頻度はたいへん低かつた。怠惰だつたからで、怠惰になつたのは持ち出さなかつたからで、持ち出さなかつたのは面倒に思つたからで、結局は怠惰に戻つてくる。反省せにやあ、なりませんなあ。
持ち出すのが面倒に感じたのは、GRⅢ用のf64製ポーチを常用する鞄に取りつける工夫が、どうにも纏らなかつた所為で、實は今もまだ纏つてゐない。
纏らない原因が手持ちの鞄としたら、f64ポーチに入れたGRⅢを、そのままはふり込むのを前提に、その鞄を新調する方法もあり得はする。
お財布、煙草とライター。
手帖、ペン、スマートフォン。
ハンケチにティッシュ。
小さなペットボトル。
しまつた鞄の話ではなかつた。
併し持ち出すことを重く視るなら、忘れてはいけない点でもあるから、これは別の機會にじつくり考へるとする。
そこで叉話を少々逸らすと、小さくて軽くてよく冩るGRⅢを中々持ち出さない理由に、スマートフォンを挙げたいと思ふ。使つてゐる機種は五年前の骨董品(!)だけれど、この手帖で用ゐる程度なら、特段の不満は感じないし、スマートフォンは否応なく、持ち出さざるを得ない物体でもある。いや本当に持ち出さねばならぬ物体かどうかに就ては、議論の余地があるけれど、一般論としてはさう見てもいい。となつたら、取敢ず撮るだけでよければ、スマートフォンで支障は起きない(だらう)ことになる。従つてGRⅢの出番は
-けふはちやんと撮らうず。
と思つた時に絞られてきて、これではいけない。ちやんと撮らうずなんて、二六時中考へるわけはなく、手元のスマートフォンでいいやとなれば、惡循環に陥る。陥つてしまふ。勿論この責任は、スマートフォンの利便ではなく、私の使ひ方にあるのだけれど。
併しここまで進めれば、ある程度は方向が見えてくる気がする。なにややこしいことではなく
-スマートフォンを使ふ場面をGRⅢに任せばいい。
のではあるまいか。スマートフォンのロックを解除し、カメラ機能を起動さすのと、f64ポーチからGRⅢを出し、電源を入れるのと、然程のちがひもない…筈である。嵩張り具合を別にすれば。
勿論GRⅢの"嵩張り具合"は、スマートフォンとの比較だからかう云ふので、他社製で同じフォーマットの機種と較べれば、文句無しにコンパクトなのは云ふまでもない。この点ひとつを取つても、コンパクト・デジタルカメラが事實上、終焉を迎へたのは、同業他社との潰しあひではなく、まつたく異なる方向からやつてきた、(カメラとは)まつたく異なる機械ゆゑだつたことが透けて見える。
戻した筈の話が叉逸れた。
改めてf64ポーチを見ると、裏側にベルト通しが用意されてゐた。カラビナフックで吊るすのに気を取られ、きつと見落したのだと思ふ。これなら持ち運びの手段に悩まずともいいから、嬉しくなつた。令和七年は、腰まはりにGRⅢをぶら下げ、暢気に歩き、うつかり呑むことになるのだらう。