閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

149 花は日本の

 フィレンツェにカテドラーレ・ディ・サンタ・マリア・デル・フィオーレといふ建物がある。英語だとカテドラル・オヴ・セイント・マリア・オヴ・フラワーズ。"花の聖母の大聖堂"が日本語訳で、“花の”が“聖母(この場合、“マリア”だとカタカナが浮いた感じになる)”と“大聖堂”の双方にかかるのがいい。たれが訳したのだらう。

 ところでかういふ名づけは我が國の神社佛閣には欠けた感覚らしい。花の観世音寺なんて、あでやかでいいと思ふんだが、何故か教王護國寺などいふ、ひどく威張つた…王ヲ教ヘ國ヲ護ルなど、寧ろ傲岸と云つてもいい…名前を平気でつける。教王護國寺は密教寺で、密教には曼荼羅があつて、實に花やかなものなのに…と書いたら眞面目な密教僧に叱られるかも知れない。あれは眞實を示すもので、花やぎを誇るものではありませんよ、と。さう叱られたら、こちらはもう身を縮めるしかないのだが、ここで多少、居直ると、ある小説家(たれかは判つてゐるが、不正確なので名前は出さない)が云ふには、キリスト教の建物が豪奢なのは

「無學な俗人に樂園を實感させる一面が」

あつたからださうで、その指摘は正しい。それは何千年か何万年か後に裁きを受けるんですよ、神さまの國に行きたいでせう、といふ發想が背中に控へてゐるからで、さうでなければ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ…“花のマリア”なんて優しげな名づけは浮ばないよ。大したものである。

 尤も寫眞で見る限り、この大聖堂、きらびやかではあつても、信心を催さす風には思ひにくい。こちらの目で見ると、どうにも過剰に…有り体に云へば、息詰まる感じがされてならない。西洋人には空白を恐れる、もしくは厭がる傾向があるさうで、ほら、家の壁に大量の絵画を飾りつけたりするでせう。空間畏怖と呼ぶのだが、それのうんと精密で大規模な、そして藝術的な發露が、聖堂ではなからうか。見方によつては人工の極北でもあるそれに神の國を感じられるのは、まつたくのところタフだと思ふ。何故だらうと想像するに、眞つ先にギリシアやローマの神殿が浮ぶ。あの豪壮な石造りと彫刻は確かに神々の供物に相応しいし、キリスト教の建築物がそれに影響を受けない筈はない。

 それはそれでいいが、では何故さういふ豪壮を求めたのか。神さまが歓ぶから…と考へるのは当然として、さういふ建築に頼らざるを得ない程度に、土地の光景が貧相だつたからではあるまいか。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、どこでも構はないから、神社古刹を思ひ出してみ玉へ。建物は貧弱かも知れないが、古木の蔭が鬱蒼とし、陽光は穏やかで風の涼しい…要は気分が清々する場所にある。さういふ土地を神さまが好んだからで、それが解れば、人間はそこを神聖な場所と扱ふだけで済む。凝りに凝つた彫刻も色鮮やかな硝子も豪奢な金張りも不要であつて、まして嫋女振りの名前は邪魔でないにしても無用とは云へる。

 念の為に云ふと、西洋の聖堂はいけないと主張する積りは毛頭無い。クレメンティアを旨とするわたしだもの、当然である。善し惡しでなく、神さまがゐる場所の想像図と、神さまがゐる場所そのもののちがひであつて、想像図は人目につく所に置かれなくてはならないし、それには一目で樂園だと理解出來る花やぎが欠かせない。マリア様の聖堂に限らず、たとへば東都のニコライ堂(正式には“東京復活大聖堂”なのだね。知らなかつた)はたいへん美しい建築物だが、御茶ノ水といふ立地が、その美しさを随分と削いでゐる気がする。たとへば奥多摩の森の中に移築すれば、緑によく映へるだらう。それに土地の祝福と建物の意志が合致すれば、サンタ・マリア・デル・フィオーレを凌ぐ世界に類の無い風景が産れるにちがひない。かう云ふとニコライ堂の主教さまは穏やかに

「山林は日本の神さまのものですから」

と仰有るだらうが、なーに、我が國の神さまは八百万もをられる。一柱くらゐ紛れ込んだつて、八釜しいことにはならないだらう。となると、かういふ奇観を作れるとしたら、我が日本國くらゐかも知れず、いやわたしは半ば本気なのですよ。何しろ土着の神さまが“権二現ハレタ(佛さま)”になるくらゐだから、融通の余地はたつぷりある。となれば春の櫻と秋の紅葉を目にされたマリア様が、別荘を持つてもいいといふ気持ちになるのではならかうか。かう書くとフィレンツェ人は柳眉を逆立てるにちがひないから、一応は冗談としておくけれども。