閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

2025-03-01から1ヶ月間の記事一覧

1226 メカメカなSAMURAI

京セラが嘗て造っていたカメラと云えば、コンタックス銘が浮ぶのは当然として、あの會社はKYOCERA銘でも幾つかの妙な機種を出していた。オートフォーカスの一眼レフ…同世代の他社製品に較べれば見劣りはしたが、アダプタ経由でツァイス銘レンズを使えた記憶…

1225 御無沙汰、叉

そういえば、烏賊の天麩羅を長く食べていない。 正しくは烏賊料理全般に云えるのだが、そうなるとお刺身やら中華風の炒めものやら丸焼きから、一夜干し、酢味噌和えまで、話が拡がりかねない。面倒である。だからこの稿の 話題は天麩羅、精々フライに押し留…

1224 暫く、御無沙汰

そういえばここ暫く、厚揚げを食べていない。 焙ったのに、刻み葱と削り節、すりおろしの生姜を添え、醤油を垂しながらやっつけるやつ。 或は酢豚の要領で、肉の代りに厚揚げを使った、薹灣料理では家常豆腐と呼ばれているやつ。 親戚筋と云える揚げ出し豆腐…

1223 好きな唄の話~修二会

さだまさしの唄で一ばん好きなのは『まほろば』で、この[好きな唄の話]でも取りあげた記憶がある。 修二会の訓みは"シュニヱ"…概ねは下記東大寺のWebサイトで掴める。叉、司馬遼太郎が『街道をゆく』の中、驚きと感動を込めて書いてもいるから、この稿で詳し…

1222 忘れ難い試合の話

令和七年如月二日。 後楽園ホール。 スターダム、クマ・コントラ・クマ。 コグマ対八神蘭柰。 正確には、忘れ難くなるだろう試合の話。 スターダムから何人もの撰手が退団し、マリーゴールドとして分裂したのが、ざっと一年前。トップランカーだったジュリア…

1221 品下れた天かす

饂飩を煮る時、ちょっと困ったら、天かすを入れる。 安直且つ便利な上、中々にうまくなる。 尊敬する檀一雄は、『檀流クッキング』で、素麺の藥味を紹介する際に、天かすの作り方を指南している。實に愉しそうな口調だから、眞似をしたくもなるのだが、どう…

1220 肉団子の不思議

前回、つくねを話題にしたから、續きの気分で。 獸肉(或は魚介肉)を刻んで叩いて捏ねて、香草だの香辛料だのをまぶして丸く纏めたのを、この稿では肉団子と呼ぶ。我ながら大雑把な掴み方だとは思う。 つくねに就て、散々好き勝手に書いた直後だから、多少の…

1219 つくねの謎

串焼きの盛合せは私の頤を解かしめる。 本道でないのは判っています。ハラミでもネギでもタンでもレバーでもシシトウでもニンニクでも、食べたい順に焼いてもらう方が好もしいし、うまくもある。とは云え焼き場の手が塞がり気味なら、ひとまずは盛合せにして…

1218 薔薇いろの一ぱい

どんな弾みでそうなるのか、自分でもよく判らないが、ロゼの葡萄酒を呑みたいと思うことがある。現物をどこかに片附けて、確められないから、記憶で云うと、フランスでピクニックに誘われた伊丹十三が、レヴァ・ペーストを塗った麺麭(きっとバケットだな)と…

1217 彌生の十一日

あの年のこの日を、"サン(テン)イチイチ"と呼ぶひとがいて、あれはもの凄く耳障りに響く。"ツキ(テン)ニチニチ"とは、プロレスのビッグマッチと、プロ野球の特別な一日を指すだけで十分ではないか。 平成廿三年の彌生は十一日に就て、私が云えることは今さら…

1216 御先祖はM2

ライカ史を俯瞰した時、機能とスタイリングは、昭和七年のⅡで一応が纏り、昭和十五年のⅢcで完成した。念を押すとこれは、現代のM11(だったか)まで含めて云うんである。 そのM11の御先祖は、デジタル初代のM8から更に遡り、昭和卅三年のM2まで辿り着く。こう…

1215 kissをしましょう

見目麗しの貴女に云うのではない、残念ながら。 キヤノンが造っていたカメラに、kissがあった。正確にはEOS kiss…銀塩一眼レフから始まり、デジタル一眼レフ、更にデジタルのミラーレス一眼まで續いた、長大なシリーズ。厳密には 「それぞれの時代のEOS群の、…

1214 改めてコロッケに目を向けて

椎名誠の小説だったか、主人公の若ものが、コロッケを摘みに麦酒を呑む場面があった。いやそうではなく、コロッケを摘みに麦酒を呑むのが好きだと、たれかに云ったのだったか。どちらにせよ、それのくだりで (成る程コロッケと麦酒ね) 妙に感心した記憶があ…

1213 お古の樂み

デジタル一眼レフを撰ぶなら、中古でもかまわない。 この十年以内の機種 入手が容易な記録メディアを採用していること バッテリが現行品か、互換品が確保出來ること この三点に留意すれば、被冩体が余程に特殊…野鳥やモータースポーツ…でない限り、まあ大体…

1212 ホッピーで一ぱい

開發時は、ホップを使った麦酒風飲料なので、ホッビーと呼んでいたが、語呂も響きも宜しくないので、發賣にあたってホッピーにしたという。因みに開發を始めたのは大正十五年…昭和元年。發賣は昭和廿三年だから、たっぷりと時間を掛けたことになる。 これら…