閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1276 止む事を得ない事情があつて

 スマートフォンの機種変更をしたのです。

 AQUOS SENSE3から同9へ。

 その積りはまつたく、なかつたのに。

 そんなら何故、さうしたのかと云へば、SENSE3が壊れた…正確には間もなく壊れることが、疑ひない状態になつたからで、断定出來る理由が何かと云へば、液晶パネルが浮いてきたからである。

 

 ね、止む事を得ない事情でせう。

 

 さういふ事情であり、気がついたのが夜だつたから、オンラインで註文した。翌日の夜に届いた。店に足を運んだら多分、待ち時間だの何だので、不機嫌になつてゐたらうから、惡い判断ではなかつたと思ふ。

 SENSE9を撰んだのは、私がSHARPに馴染んでゐるのがひとつ。更に契約してゐるキャリア…auのラインアップには、これくらゐしか撰べる端末が見当らなかつたこともある。ここまでの事情が無ければ、別キャリアへの転出もあり得ただらうが、まあ文句は云ひますまい。

 

 SIMの交換。

 利用開始の処理。

 設定とデータの移行。

 OSのアップデート。

 手順としてはこれだけ。それはいいんだが、同梱してゐたスタートガイドが、酷い出來だつたのには驚いた。赤ペンを入れたら、すべてを直す必要があるから、この稿ではごく簡潔に

 「社外のたれかに、スタートガイドを渡し、かれ乃至彼女が、スムースに操作を進められるか」

といふ方法で確め玉へ。さう助言するに留めたい。

 

 ところでSENSE3の入手は、令和元年霜月の發賣開始時だつた。参考までに云へば、iPhone11の頃。以來五年八ヶ月、使つてきたわけで、長もちしたと思ふ。新しくやつて來たSENSE9も数年以上、使ふのは確實で、さう考へれば、SHARPau、どちらの立場から見ても、私は厭な客である。

 併しね、こちらにだつて云ひ分は、無くもない。先づAndroidのバージョンちがひ(SENSE3は11/SENSE9は15)で、操作性がまるでちがふ。Google

 「より便利になつてゐるんです」

と主張したいか、主張するのだらうが、操作性に旧バージョンから聯續した感じがせず、最初からの覚え直しが必要なら、それは駄目なんですよ。

 

 それから非常に個人的な不満を云へば、これだけOSの世代を重ねたのに、どんな理由があつて、歴史的仮名遣ひを当り前に使へないのか。莫迦げた(自慢にもならないが、私は絵文字を一ぺんも使つたことがない)顔文字や絵文字は充實してゐるんだから、歴史的仮名遣ひへの対応だつて、不可能ではない筈である。

 なので今、日本語変換の辞書に、私好みの云ひまはしや単語を、少しづつ進めてゐる。進めながら、機種変更に消極的だつた、消極的であり續けた最大の理由は、もしかしてこの点なのかも知れない、と思つてゐる。常用するWebサイトへの再ログインなんぞ、これに較べたら樂なものですよ、實際。

 

 話の序でに、もうひとつ不満を挙げておく。画面上部の、時刻とか電池の残量とか表示する場所、あすこの眞ん中に、レンズが配置してあつて、それがまつたく不細工でいけない。設計陣だかデザイナーだか、たれが責を負ふのかは兎も角、製品に仕立てる前

 「これは恰好惡いから、考へなほしませう」

意見が出なかつたのか知ら。スマートフォンは常時、手に持つ物で、パネルは常に目にする箇所なのに、そこを不恰好にして平気な感覚は、不思議といふ他にない。かう云つたら、SHARPから

 「必要だつたのです」

と反論される可能性はあるし、必要だつたならそこは認めるのに吝かではないとしても、その必要性を綺麗に纏めるのが、設計なりデザインなりの役割ですよ、と再反論が成り立つ余地だつてあるでせう。

 

 ここまで書くと、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏はきつと呆れ顔で

 「そこまで云ふのに、SENSE9を撰んだのは、まつたく解せない」

肩を竦めると思ふ。御尤も。私としては、だから“止む事を得ない事情”だつたのです、と応じるのが精一杯である。さうでもなければ、機種変更を行ふ撰択自体、採らなかつたのは間違ひない。

 それに現實として、SENSEは3から9に変つた。後はあれこれの不満を捻ぢ伏せながら、使つてゆかざるを得ず、これも叉、止む事を得ない事情と云つていい。