閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

670 漫画の切れ端~スケバン刑事

 記憶に残る旧い漫画の話。

 

 十台終りの数年、少女漫画に熱中した時期があつた。川原由美子山口美由紀坂田靖子柴田昌弘。中でも和田慎二は別格で、『スケバン刑事』をかれの代表作のひとつに挙げても異論は出まい。

 

 前提は滅茶苦茶である。

 主人公の麻宮サキは、大人の入りこみにくい場所…即ち學校で起きる事件への対応の為、非公式の"學生刑事"に任命される。死刑が確定した母親の減刑を餌に。サキは所謂スケバンと呼ばれる不良少女だが、頭は切れるし、優しさも持つてゐて、自分をきらひぬく母親を愛してもゐる。

 「いつか必ず、このうらみをはらす」

話を持ち掛けた暗闇警視にさう云ひ放つた彼女は、學生刑事として、不穏な空気の學校を渡り歩く。

 ね。滅茶苦茶でせう。わたしがこの案を聞いた編輯者だつたら、もうちつと何かかう…と口ごもる。併し前提が滅茶苦茶でも、そこを"さういふもの"なのだとすれば話は出來てゆくし、和田はそこを丁寧に作つた。だから面白い。

 

 もうひとつ。二部構成となつてゐるこの漫画には、それぞれに強烈な惡役が配されてゐる。前半は海槌麗巳といふ同世代の女。後半は信樂老といふ推定二百歳以上…本篇では"人間ぢやあない、妖怪よ"とまで云はれる…の怪人。

 麗巳と老人はどちらも冷酷で奸智に長け、更にタフでもあつて、サキをとことんまで追ひ詰めにかかる。性別も年齢も性格も異なる(性質には似た部分がある)ふたりの惡役を生みだしたのは大したもので、どの漫画とは云はないが、ひとりの強烈な敵役に縛られた例がどれほど多いだらう。

 尤も讀む我われは、それで苛々させられる。敵は常に先手を打つし、策謀は巧妙だし、色々の思惑も渦巻いてゐる。ただその苛々は絞りに絞られた弓弦のやうでもある。解き放たれた矢(我われの怒りも乗つてゐる)は、烈しい音を立てて惡党の胸板を貫く。併しそれはカタルシスと呼べるのか。

 

 咜られはすまいから書くと、この長篇漫画の最後、サキは死ぬ。死は無惨であるが、闘ひの日々から自由になれたとすれば、彼女にとつての死は救ひであつたとも思へてくる。一方で"學生刑事といふシステム"は残り續けるから、新しい學生刑事は生れ得る(實際本篇でも登場した)…さう考へるとこれは、苦いハピー・エンディングと受けとめなくてはならないだらう。和田慎二の意図がどこにあつたかは知らないが、わたしの目にはさう映つた。