閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

249 かつ丼考

 念の為に確かめてみたが、この手帖ではどうやら、正面から話題にしてゐなかつたらしい。

 かつ丼の話である。

 肉食…ここは“ニクジキ”と讀んでもらひたいところ…から距離を置いてゐる筈のわたしだが、かつ丼は例外であつて、いつ食べても旨い。この場合は卵でとぢる方式のかつ丼で、だつたらソースかつ丼味噌かつ丼はどうなんだと抗議されることが考へられるが、ちやんと食べたことがないので、その論評は控へるべきでせう。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏のご招待をお待ち申し上げる。

 では“卵とぢ式”のかつ丼(以下“ ”の箇所は省略しますよ)といふと、微妙な表情になるひとも出てきさうな気がする。カツレツやフライは衣がからりとしてゐるところがいいので

「それをわざわざ、煮崩す眞似をするのは、如何なものだらうか」

成る程。尤もな指摘である。そこは認めつつ、それでも旨いのだと反論せざるを得ない。好きだから旨いと思ふのか、旨く感じるから好きだと思ふのか、どちらにしても循環論法に陥るけれども、食べものの好ききらひはさういふものだ。但しチキンカツやビフカツ、牡蠣フライに鯵フライに海老フライの卵とぢは断然、拒否権を發動したい。

 何がちがふのだらう。牡蠣や鯵や海老なら、まあ海産物だからねえと云へるとして、チキンやビーフ(試したことはないが、きつと仔羊や兎でも)は獸肉だから、その云ひわけは通用しない。不思議である。もつと不思議なのは、我が國のカツレツはビーフが嚆矢であつたことで、いやそれ自体は奇妙とは云へない。明治の西洋人は牛肉を好んだらうし、日本にも細々と牛を扱ふ伝統があつた…と書くと

徳川慶喜は“豚一どの”…念の為に云へば、“豚肉好きの一橋どの”の意…と揶揄されたぢやあないの」

と反論されさうだが、さういふ揶揄は、豚肉好みが珍奇だつたから成り立つのではないですかと、再反論しておかう。序でながら、徳川将軍家には毎年の正月、彦根(だつたと思ふ)から牛肉の味噌漬けが献上されるならはしがあつたから、四ツ足を忌避する傾向の中で、牛は例外的だつたととらへても不正確の謗りは免れると思はれる。明治の西洋料理で、牛肉が比較的にせよ、早い時期か受入れられた事情は、さういふ背景があつた所為ではなからうか。

 内田百閒の随筆を幾つか捲ると、幼少時の栄造坊やが栄養をつける為、親戚の家で牛鍋だつたか鋤焼だつたかを食べさせられるくだりや、青年になつてから友人と共に(何故だかソーダ水を飲みながら)ビフカツを食べるくだりがある。百閒先生は明治二十二年に岡山で生れ、明治四十三年頃、東京に出る。これは十九世紀最後の二十年とほぼ重なる時期で、岡山辺りはまだまだ草深い田舎(岡山の讀者諸嬢諸氏よ、怒りたまふな)に過ぎなかつたらう。その土地で育つた造り酒屋の伜が、最初に食べた(造り酒屋は穢レを厭ふから、家族は余程慎重になつたらしい)のが牛肉だつたのは、明治日本での“肉の格”を想像させる。

 それがいつの間にやら、豚肉がのしてきた。少なくとも関東ではその筈で、一体何が切つ掛けだつたのか。単純に考へると、“肉を喰ひたい”といふ需要に対する供給でなからうかとなる。併しそんなら鶏があつた(注意書のやうに云ふと、江戸の町民は鶏を食べてゐた。格は随分と低かつたさうだが)だらうと思へてくる。もしかして需要が高まつたのは、“肉”ではなく、“四ツ足の肉”だつたのだらうか。食べものの歴史…起源を確定させたいと思ふほど、無益な努力もないのだが、とんかつは明治三十年代初頭に、かつ丼は明治三十年代後半から大正初期にかけて登場したらしい。といふことはそれ以前に豚肉への慾求はあつたと考へられて、百閒先生はとんかつ…かつ丼の勃興期(西洋料理乃至洋食で未だ牛肉が優位を占めていた頃でもある)に少年青年の時期を過ごしたのだらう。いづれにしても正確なところは解らない。

 そこで明治畜産史や獸肉への嗜好の変遷には目を瞑る。兎にも角にもとんかつが生れ、人気を博したのは確實として、それを卵でとぢる發想はとこからきたのか。ここで我われは、親子丼に目を向ける必要がある。例によつて多分に曖昧ではあるのだが、原型はおほむね、明治十七年から二十年にかけて出來た。元々は軍鶏鍋の〆…残つた出汁を卵でとぢて、ごはんを食べた…の応用だつたらしい。旨さうだなあ。…といふ感想はさて措き、かつ丼の登場に二十年前後、先立つてゐるのは注目に値する。盛切りの丼めしは当時、品下れる食べものだつたさうだが(親子丼も最初は出前だけの扱ひだつたといふ)、温かいし何より卵は獸肉ともごはんとも相性がいい。親子丼が人気なのか、だつたら、とんかつを煮てみるか…と思つたか、そこは定かではないけれど、間接的に影響された可能性くらゐ、あるんではなからうか。

 いや併し。とここで疑問が浮ぶ。一体に日本の揚げ料理は、天麩羅でもフライでもカツレツでも衣がうまい。ハムカツまで進むと、あれは揚げ衣の食べもの(ハムは寧ろ衣の調味料)と云つてもいい。その衣はからりざくりほろりが擬音として似合ふ筈で、潤びさせる理由はどこにある、あつたのだらう。さう思つたが、天麩羅…この技術があつたからカツレツやフライが大發展したのだとわたしは考へてゐる…は、大根おろしで食べるのがうまい。衣のざくざくした食感がないなどと、文句を云はうともしない。大根おろしを使ふのは天麩羅を揚げる為の火力が低く(二十一世紀とはちがふのです)、油でぼつてりするのを旨く食べる工夫だつたに相違なく、我われの曾祖父母にとつて、揚げものの衣は潤びてゐるのが当り前だつたのではないか。だとすると、とんかつを煮るといふ調理法に、作る方も食べる方も、それほどの抵抗感はなかつたのかも知れない。

 我ながら惡い推察でもないと思ふ。

 さて。かつ丼は、無愛想…訂正、簡素をもつて最良とする。卵にあはせるのは玉葱だけで宜しい。その卵はやはらかすぎると思へるくらゐが好もしい。丼に盛る時も、追加で何かを乗せる必要はない。どうしても寂しいければ、三つ葉を少し散らす程度なら、妥協してもいいでせう。グリンピースは論外である。とんかつは眞ん中から食べるのが常道で、かつ丼もまた例外にはならない。それだけで食べるのもいいけれど、折角の丼なんだから、口を大きく開け、ごはんと一緒に頬張る方が旨いに決つてゐる。但し口の中を火傷してはいけないから、その辺の余裕は見積つておかねばなるまい。ここで我われは、丼の中身が混ざらないよう、注意を払ふ必要がある。云ふまでもなく、とんかつと卵とごはんの組合せを存分に味はふ為…カレーライスと同じであるね…の留意事項である。さうして残り少なくなつてきたら、とんかつの端の片方で丼を綺麗にさらへ、最後にもう片方の端を食べれば、かつ丼を満喫する手順としてほぼ完璧であらう。尤も同じ手順がソースかつ丼や味噌煮かつ丼で通用するものかは疑はしい。詰り研究の余地があるわけで、さう考へると、かつ丼の道もまた奥が深い。