陋屋の近所…歩いて五分も掛からないところに、呑み屋が出來た。定食屋、カレー屋、唐揚げ屋と、お店がくるくる変つた場所なので、開店準備を始めた頃から、大丈夫か知らと思つてゐ゙た。大通りに面してゐるのに、お店が次々入れ替るのは、住宅地にごく近く、マーケットやドラッグストア、コンビニエンス・ストアまであり
(そんならお惣菜やお辨當でも買つて、家で一ぱい呑む方が、気らくだし、廉でいい)
と考へるひとが少からずゐた、ゐるからだらう。さういふ場所に呑み屋を出して、うまくゆくものかどうか。
併し思ひたつて、ふらつと歩ける距離に呑み屋があるのは、私のやうな呑み助にとつては有難い。とは云へ
(有難いのは確かだけれど、不味いのはこまるなあ)
さう考へたのも本心で、實際がどうかは、お店に入るのが最良且つ唯一の方法である。それで或日の夕方、まづは様子を伺ふことにした。
間が惡かつた。外に貼つてある品書きを見る積りだつたのが、女性の店員さんが丁度、店外の硝子窓を拭いてゐて、かうなると
「入つて、かまひませんか」
訊かざるを得ない。暖簾を出し、灯りを点けた呑み屋の店員さんが、断る道理はない。愛想よく、勿論ですどうぞと云はれ、中のカウンタに坐つた。広くはない。ただ奥を目をやると、階段が見えたから、人数は相応に受け入れられるのだらう。時間帯が早い所為か、他にお客はゐない。カウンタにはQRコードが貼られ、“御注文はこちらから”と書いてあつたから、面倒だなあと思つた。さうしたら先刻の店員さんが
「QRコードはありますけど、云つてもらへたら、伺ひます」
安心した。先づは壜麦酒から。冷したグラスを一緒に用意してくれて
「注ぎますね」
口あけのお客だつたから、サーヴィスしてくれたのだらう。それで嬉しくなつたから、我ながらちよろい。その最初の一ぱいを呑みながら、改めて品書きに目を通し、燻製ポテトサラドといふのを註文した。ポテトサラドは私の大好物だし、呑み屋によつて、味はひが変る。試さない手はないといふものだ。
いつだつたか、別の呑み屋のポテトサラドが旨かつたのを思ひだした。半熟卵が乗せてあり、それを崩し混ぜながら食べると、卵の絡み方で味はひが異つて、實に樂かつた。更に別の呑み屋のポテトサラドは、露骨に手を抜いてゐて、まつたく感心出來なかつたことも。まあまづいポテトサラドは、珍とすべきなのだけれど。

待つこと暫し。
ポテトサラドが來た。
蓋をした器で、その蓋を開けたら、ふはりと燻製の香りが立つた。成る程、考へてゐるなあ。
早速つまむと、燻すことで出る獨特の味はひが、何とも快い。それほど癖がつよいわけでないから、スモーキーな風味がにがてなひとも、気になるまい。更につまむと、根菜の歯触りがあつた。たくわんでも、刻んであるのかな。気になつて訊ねたら
「いぶりがつこを、入れてます」
とのことだつた。それでもうひと口。云はれてみれば確かに、嚙んだ感触や、鼻に残る匂ひが、たくわんと違つてゐる。燻製にあはすとなれば、この方が望ましい。麦酒に適ふのは勿論、お酒にも似合はうと思つたから、澱絡みのお代りを頼んだ。葡萄酒用のグラスで
「ちよつと多めに入れませうね」
普段の量が判らないのは差引きしても、さう云つてもらへるのは矢張り嬉しい。調子に乗りさうになつたが、この夜は様子見である。焼き鯖を追加するのに留め、お店を出た。もつぺん次は、お客が入つてゐる時間帯に足を運び、あしらひや他のお摘みを確かめる必要がある。さう思つたから、最初の一歩はまづ、よろしかつたと云つていい。