閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

053 鶏の唐揚げ

 腹が減つたら最良の手当ては揚げもので、揚げものと云へば、鶏の唐揚げかとんかつで、残念ながら牛肉の入る余地はない。明治の書生はビフカツを貪つたさうだが…牛鍋流行りも含めて、牛肉への禁忌感が薄かつたのだらうか。さう云へば肉食忌避と云ひながら、朝廷には牛乳の管理職があつたし、井伊家だつたかは牛肉の味噌漬けを将軍家に奉る習慣があつたといふ…、それは過ぎた昔の話である。今の感覚で云ふと、鶏の唐揚げやとんかつに匹敵するのは 鯵フライか牡蠣フライ、後は鯖の竜田揚げにコロッケ、ミンチカツが精々で、鯵フライや牡蠣フライや鯖の竜田揚げやコロッケやミンチカツは稿を改めて(無駄に)(暑苦しく)語る機会があるだらうから、ここでは踏み込まない。

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 それで鶏の唐揚げ(以降は単に唐揚げと書く)ととんかつを比較したらどうなんだらうといふ話乃至疑問になつて、ごく簡単に云ふと、おやつの唐揚げ、食事のとんかつではないかと思はれる。かう書くと必ず、唐揚げ定食を忘れてはならぬと叱責が飛ぶにちがひなく、確かに唐揚げ定食はうまいし何べんもお世話になつてゐるが、定食の格づけで考へれば、とんかつ定食が大関級なら唐揚げ定食は前頭の中ほどくらゐの地位でせうね。但しこれは定食の格づけの場合。麦酒のつまみ、ちよつとしたおやつ代りとなると、その地位はあからさまに逆転して、唐揚げの優位が動かなくなる。マーケットでのパック詰めや、コンヴィニエンス・ストアの袋詰め、串を見ればその優位は一目瞭然ですよ。とびきり旨いかと訊かれたら、正直なところ、小首を傾げざるを得ないが、お財布から出てゆく金額で考へるに、まあ妥当なところだらうなとは思はれる。

 一ばん旨いのが揚げたてなのは勿論、疑念の余地がない。たまに足を運ぶ安呑み屋に百五十円くらゐの串唐揚げがあつて、註文を受けて揚げるのだが、さういふのでもうまい。などと書くと

「どうもあなたは舌が貧しくていけない」

と叱られさうである。舌の貧しさを認めるのは吝かでないとして、いきなりまづい前提で叱られても、こちらとしては困惑せざるを得ないし、唐揚げはそもそも、そのくらゐの食べものなんですよと云ひたくもなつてくる。これはまあ居直りなのだけれど、かう居直られて反論するのは六づかしいのではないか知ら。

 揚げたての唐揚げなら、そのまま齧りつくのが一ばんうまい。ほら、よく云ふでせう、檸檬を搾るのがどうとか。あんな莫迦な話はなくて、唐揚げ…だけでなく、揚げものは概ね(たとへばコロッケ)、揚げたてならそのまま食べるのが最良なんです。わざわざ概ねと云つたのは、天麩羅に限れば大根おろしがあつて初めて完成するからで、尤もこの場合は天麩羅が主なのか、大根おろしを一ばん旨く食べる為の天麩羅なのか、曖昧になつて仕舞ふから、例外とするべきでせうな。問題はマーケットで買つた、揚げたてではない唐揚げで、これはどうしたつて調味の手助けが欠かせない。醤油にマヨネィーズ、塩と檸檬、味つけぽん酢、七味唐辛子、タルタル・ソース、チリー・ソース辺りが主な面子だらうか。

「いやいや、その前に、レンジで温めなほせばいいぢやあないの」

といふ意見には一理を認めるが、何しろわたしはさういふ文明の利器を持つてゐないから、仕方がない。小さめに切つてから、フライパンで乾煎りすることはある。そんなに惡くないですよ。お皿にキヤベツなりトマトなりを盛つて、乾煎り唐揚げを乗せるだけでつまみの恰好になる。この場合は揚げたてと認めにくいので、最初から調味料を用意する。マヨネィーズと醤油に、あれば七味唐辛子をほんの少し。ただここで、マヨネィーズでも醤油でもぽん酢でも檸檬塩でも、小皿で出すべきなのは留意が必要だらう。遅い午后、ちよつと贅沢なおやつ代りに唐揚げを用意すれば、ありきたりの罐麦酒も旨く呑めるといふものだ。