閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

096 八王子ダブル・ビフォア

 前回は八王子で五拾三次を観た後に、思はぬお店を見つけて歓んだ話を書いたのだが、寧ろこれはおまけであつたと、白状しなくてはならない。主な目的はその前日であつて、どこの何が目的だつたかと云ふと、奥多摩にある小澤酒造がそれ。正確にはその小澤酒造で催された“呑み切り会”が、主な目的だつた。要はお酒を呑んだのでせうと呆れられるのは容易に想像されて、それは正しいのだが、“呑み切り会”は市販の銘柄を呑むわけではない。醸造途中の所謂原酒が呑める機会だから、行かない手はない。なので頴娃君と共に訪ねることにした。

 以前にも一度、行つたことがある。その時は併設の小さなギャラリーで市販品と醸造途中を較べる趣向だつた。確か四銘柄と、新製品の試作…今は[東京藏人]銘で出されてゐる…を呑んだ。中々に得難い経験で、同じ味の方向なのは当然だが、醸造途中は矢張り若いといふか、不安定といふか、併し市販品より旨いと感じたのもあつて、不安定でなければ、そのまま賣つてもいいんぢやあないかとも思つた。無理な註文である。その不安定を抑へるのが醸り手の技術であつて、それを自然と人間の連携と呼んでも誤りにはならない。葡萄酒ならどうだらう。自然が与へたまうた果實に、小さな矢印を注意深く用意するのがその仕事かと思へるし、ヰスキィだつたら最後に樽と時間に委ねるところが大きさうで、お酒のやうな、共同作業または共犯関係の色は薄いのではないかと思へる。

 では今回の“呑み切り会”はどうだつたか。市販品は出さず、全八種の原酒を用意してきた。藏見學のコースを使つて、何かに似てゐると思つたら、秋の藏開きでの試飲がそれだつた。呑んだ順に

 

 

奥多摩 湧水仕込み

 普通酒。ぱつと見て、これは市販されてゐないかと思つたら、“澤乃井”と大きく貼られたラベルが これに当る由。多摩周辺のコンビニエンス・ストアで珍しくないカップがこれだつた。

本醸造 生酒

③本醸 大辛口

④純米 大辛口

 居酒屋で用意するのはこの辺りが多いのではないか。“澤乃井の味”の印象の淵源になつてゐる気がされる。

特別純米

 今回一ばん感心したのがこれ。訊いたところだと、酵母を変へたさうで、本格的に出回るのは秋を過ぎての予定だといふ。市販品版は是非にも試さねばならない。

⑥蒼天 純米吟醸

⑦純米 大吟醸

大吟醸

 ここまでくると、醸造途中でも何でも、旨いに決つてゐる。気合ひがちがふよ。気合ひが。

 

 

 それでどの辺が印象的だつたかと云ふと、前半であつた。舌触りや喉の通り、抜ける香り…要は味はひが異なつてゐて、何故だらう。不思議だなあと思つたら、後になつて謎が解けた。加水で調整する幅が大きいのださうで、数%ほどもちがふ。すりやあ味はひが異ならない方が、寧ろ不思議といふことになる。後半三種になると、流石にさういふ醸り方ではなく、詰り醸造の最初から最後まで、安定してゐると見立てていい。勿論このちがひを良し惡しに押し込めるのは間違ひで、醸り方のちがひは、色々な形で顕れるのだと理解する必要がある。實りの多い“呑み切り会”であつたが、ひとつ、残念に思つたことを書きつけておくと、柳葉魚や裂き烏賊や焼き海苔なぞ、何かしらのつまみは慾しかつた。ことに前半は呑み且つ食べる席に似合ふ味だから、本領を確かめるには、ちよつとした乾きものがあるのに越したことはない。

 終り近くに入つた所為か、お客の姿も殆ど見られず藏のひとと話す時間を持てたのは、望外の幸運と云ふべきで、但し残念なことに、この日に呑んだお酒は買つて帰れない。どうするかと思つてゐたら、頴娃君が[夏純]といふ透明の壜に入れられた銘柄に素早く目をつけた。純米の生原酒。残念ながら味見は出來なかつたが、かういふ場合の頴娃君の目利きは信頼に値するのを、経験的に知つてゐるから、任せることにした。羽村のビジネスホテルでひと風呂浴び、ヱビス・ビールを干してから呑んだ[夏純]…念の為に云ふと、烏賊の天麩羅やお刺身、チーズなんぞをつまみながらである。序でに云ふと、(癖の少ない)チーズはお酒のよい肴になる。ことに佃煮とあはせるのが宜しい…は、名前に似つかはしいさはやかな味はひであつた。もしかすると、夏酒は今後、注意深く探すのに値するのかも知れない。