閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1150 神無月は藏の月(当日に到る前)

 当日に到る前から話を始める。

 何故かと云ふに、澤乃井の藏開きにあたつては、泊りが前提になるからで、以前は羽村市のビジネスホテルが定宿だつた。驛からちかい上、マーケットやコンビニエンス・ストアへも直ぐ行けて、たいへん便利。更にホテルが用意する朝ごはんもまことに結構なのだが、ある時期を境に、泊り客の層が好もしくなくなつた。念を押すとこれは、私の主観にすぎない。第一、直接に迷惑を蒙つたわけでもないのだから、難癖と云はれても反論は六つかしい。ただ一ぺん

 (どうも、ちよいとなあ)

などと感じてしまへば、遺憾ながら足が遠退くのも、事實である。あすこのお味噌汁は美味かつたから、様子見を兼ね、再訪を計劃したいものではあるとしても。

 さういふ事情もあり、ニューナンブの多摩方面の定宿(矢張りビジネスホテル)は現在、昭島市に移つてゐる。驛に隣接するマーケットは、羽村市のそれより広く、酒屋まで入つてゐるのが(呑み助には)有難い。ホテルまでの距離は遠くなつたけれど、途中にコンビニエンス・ストアはあるし、多摩のカップ酒が置いてあつたりもして、便利と手を拍てばいいのか、誘惑が多いと肩を竦めればいいものか。

 前回の藏開きでは、その昭島に前日から泊つた。気紛れだつたのは間違ひないが、惡い気紛れではなかつた。陋屋の最寄驛から、澤乃井の最寄である沢井驛まで、たつぷり二時間は掛かるのを、半分は削れた。着替えの類を部屋に置き、身がるにもなれた。大きな利点である。但しその利点を享受するには、出費が嵩む。一泊と食事でざつと一万円ほど。この一万円の評価が悩ましい。

 早起きはそこまで苦痛ではない。

 荷物の量も我慢出來なくはない。

 そんなだつたら、昭島泊は一晩にして、その一万円を当日のちよつとした贅沢にまはす方が、お金の遣ひ途としては有用ではなからうか。と考へられはする。他方で前日から泊つて得られる、何と云へばいいか、遠足前夜のやうなお樂みの感覚が強調されるだらうことも、捨て難い。迷ひながら

 (ひと先づは)

廿五日から二泊で予約をした。一泊の切り詰めは後日、出來るとして、逆は六つかしからうと考へた結果である。

 その昭島乃至澤乃井の藏から近い街といへば立川、それから八王子だらうか。前者は福生を歩き、メリケン式のハンバーガーを喰つたくらゐで、殆ど知らない。後者は少し、知つてゐる。八王子夢美術館があるからで

 (何とも感想を云ひにくい名附けだねえ)

とは思ふが、時々面白い企劃展を催すから、油断ならない。映画版『クラッシャージョウ』の回顧展を観たのはここだつた。それからW(仮名)といふ呑み屋も挙げておかう。チェーン店と聞いたが、お摘みが中々宜しい。晝間から暖簾を出して、近辺の呑み助を招き入れてゐた。客あしらひも惡くなかつた記憶がある。そんなこんなの事情があつて私は、八王子には好感を抱いてゐる。

 それで…と云ふのは強引に過ぎるとも思へるが、気にせず續けると、夢美術館の企劃を確めてみた。残念なことに、藏開きの前後は、好みの展示ではなかつた。文句をつける筋合ひでないのは勿論である。

 調べ事の愉快のひとつに、寄り道を挙げて、異論は出にくいと思ふ。紙であれWebであれ、あちこち逸れるのは、感心出來る態度ではないけれど、ことが游びなら事情は異なる。寧ろ視線の外にあつた樂みに目が向くこともあつて、この時もさうだつた。

 東京八王子酒造と八王子蒸留所。前者はお酒…日本酒を、後者はジンを手掛けてゐる。どちらも知らなかつた。勿論どんな味はひかも、判らない。併し大きく視れば、八王子は山間の土地で、山間の土地なら水に恵まれてゐる。水に恵まれた土地ならば、日本酒であれジンであれ

 (惡い結果にはなるまい)

それが口に適ふかどうかは、別の話なので、我われは美味いまづいと、口に適ふあはないを区別する態度で、酒精と向ひ合ふ必要がある…のは兎も角、酒造も蒸留所も、八王子驛から遠くない。どちらも小規模らしく、見學は出來ないが、近辺に呑ますお店くらゐは、あるらしい。

 (様子見方々、その辺りを歩いた後、Wで麦酒を一ぱい、引つ掛けるのはどうだらう)

名案に思へる。思へはするが、前日前夜が、賑々しい酒宴になるのは、容易に想像がつく。翌朝も叉、呑むのだつて、これまでの事例を思ひだすと明かでもある。宿醉ひ或はほろ醉ひの頭で、八王子まで足を運ばうといふ余裕が残つてゐるかどうか、甚だ疑はしい。