少年には友達がゐる。
ある日、その友達が、宿題を忘れてしまつた。担任の先生は怖い顔を作つて
「今度、宿題を忘れたら、退學だぞ」
さう咤りつける。小學生くらゐの年齢にとつて、こんなに恐ろしい言葉はない。
授業が終つてから、少年は友達を慰め、家に帰る。何はともあれ、宿題をしなくちやあ。そこで少年は、たいへんなことに気がつく。友達のノートを、まちがつて一緒に持ち帰つてゐたのだ。このままだと、友達は宿題が出來ない。退學させられてしまふ。あはてた少年は、友達のノートを持つて、家を飛び出るのだが、かれにはもうひとつ、大きな問題が立ち塞つてゐた。友達の家は、どこにあるんだらう…。
それだけの映画である。
少年の冒険譚ではない。
そこには秘められた謎や世界の存亡に関はる陰謀や度胆を抜く龕灯返しも無ければ、妖しげな美女や兇暴な怪物は勿論、傲慢で理不尽な大人も姿を見せない。名優の圧倒的な演技や驚異のヴィジュアル・エフェクト、豪華なサウンド・トラック、派手なカーチェイスに大爆發、粋なジョークのやり取りも何も無い。少年が友達の家を探し、町の中を歩きまはる。ただそれだけの映画を、監督のアッバス・キアロスタミは、しづかな視線で、淡々と撮つた。劇的に見せたければ、幾らでも出來ただらうに、何もしなかつた。
複雑なカメラワーク、計算づくの照明に効果音、作り込まれたセット、大仰な科白まはし、登場人物の名前すら削り落さなければ、少年の焦りと不安…このままぢやあ、友達が退學させられる!…を描けない。描けたとしてもそれは、感動を押しつけるだけの映像に堕ちてしまふ。我われ大人にしてみればごくささやかな、併し子供にとつては、人生に関はる大問題を映画とするにあたつて、キアロスタミはきつと、さう考へたのだらう。
友達の家を少年は見つけたのか。
宿題はどうなつたのか。
あの怖い顔を見せた先生は。
いちいち触れるのは止めませう。キアロスタミの視線は最後のカットまで、齢経りた詩人のやうな穏やかさを湛へてゐる。實に満足して観終へた後、甥の背中が不意に浮んだが、私は甥を持つてゐない。