閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1299 忘れ難い試合の話〜番外

 ニューズを目にしたのは、文月廿四日だから、大体一ヶ月ほど前になる。享年七十一歳。訃報を聞いて最初に思つたのは

 「アメリカが好む、醇朴なマチズモ…もりもりの筋肉に白皙、金髪にして碧眼…を捏ねて、ひとの形に練り上げたやうなプロレスラーだつたなあ」

といふことである。

 新日本プロレスに來てゐたのは、多分キャリアの初期から、前半辺りだつたと思ふ。最初は力強さだけだつたのが、回数を重ねるごと、巧くなつたのは、本人の精進は勿論、かれを外國人レスラーのトップグループに位置附けたい新日の意向が、よく嚙み合つたからだらう。

 

 その名が跳ね上つたのは、第一回IWGP…わかいファンの為に云ふと、制定時はタイトルではなく、年に一度の大會、今の新日で云ふG1のやうな位置附けだつた…の決勝で、対戰相手はアントニオ猪木

 この稿は番外だから、試合の展開は触れないけれど、場外でのアックスボンバーで、猪木を失神に追ひこんだ結末は衝撃的だつた。猪木信者だつた少年…私は

 「何やかや、ゆうても結局、猪木先生の方が一枚も二枚も、上やろ」

さう思つて、観てゐたから、余計である。

 

 いつの間にか來日しなくたつたかれは、アメリカのリングで華やかな地位を得て、叉『ロッキー3』では、プロレスラー“サンダー・リップス”として、ロッキー・バルボアチャリティマッチまでやつてゐる。

 正直に云つて、映画に出る話を聞いた時は、演技が出來るのかと疑念を感じたが、シルヴェスタ・スタローンも大概な役者だから、釣りあふかとも思つた。實際の場面は、ほぼリング周辺に限られてゐたから、映画俳優としての實力は判らない。

 映画は併し、プロレスラーであるかれのスタイルに、惡くない影響を与へたと思ふ。云ふまでもなく、プロレスには、エンタテインメントの要素が色濃くあるし、アメリカン・プロレスはことに、さうである。広大すぎる會場に設置されたモニターに映る自分を、隅々の観客まで見せる術を、ロッキーから學んだとしても、まつたく不思議ではない。

 

 プロレスラー兼俳優は、ベビーフェイスからヒールに転じ、ベビーフェイスへと戻り、そのいづれでも成功した。私の知る限り、どちらの立ち位置でもかれは、ボディビルダーのやうに筋肉を誇示し續け、観客はその様を諒とし續けた。それが成り立つたのは、かれの姿が“マチズモのアイコン”たつたからなんだが…我が手厳しい讀者諸嬢諸氏よ、それを

 「怪しからんルッキズム

と非難してはならない。プロレスのエンタテインメント性には、類型的なヒーロー映画と同じく、見た目の要素もたつぷり含まれてゐる。さう考へるとかれの成功は、唯一無二とは云へないにせよ、稀であつたとは云つていい。それにジェンダーがどうとか、ポリティカル・コレクトネスがかうとか、口煩い現代、仮に同じタイプのプロレスラーが現れたとして、同じやうに成功を収められるかは、甚だ疑問である。かれはもしかして

 「最後のクラッシックなスタイルの、アメリカン・プロレスラー」

であつたのかと、今になつて強く思ふ。

 

 その名はホーガン。

 ハルク・ホーガン