閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1328 小さな贅沢

 漢字のお餅より、ひらがなで、おもちと書く方が、美味しさうな気がする。英語表現なら、omochi で済むことを思へば、日本語のややこしさだねえ。

 表記はさて措き…この稿では“おもち”を主とします…、歴史を遡ると、例の如く、曖昧模糊とした時代に辿り着いてしまふ。我われの遠いとほい御先祖も、食べてゐたにちがひない。

 尤も始終、口に出來なかつたのは間違ひない。糯米を食べる手間は、粳米と較べて、たいへん面倒だからで、食卓に出せは、特別な…即ちハレの日に限られてゐ゙た。同じ糯米族のお赤飯を思ひ浮べたら、何となくさうかもなあと感じるのではなからうか。我われの心底には、未だ漠然とした、土俗的な気分が残つてゐるのです。

 表記に續いて、土俗もさて措かう。そつちの分析は、糯米と餅の文化史研究家に委ね(腰を据ゑ取組んだら、大変な目にあひさうだ)、我われは素直に、おもちは美味しいなあと思へばよい。

 

 曖昧を承知しつつ云ふとおもちは、遅くとも平安期にはあつたらしい。記録に残したくらゐだから、殿上人の贅沢品、少くともとくべつな食べものだつたのだらう。何で食べたのか知ら。砂糖醤油やきな粉は未だ無かつたし、磯辺だつて、無理筋であつた筈だ。汁ものの種にしたか、未醤でも使つたか、或は果もののだの干し魚だのとあはせたか。ひよつとして、煮ただけ焼いただけをそのまま食べ、まことに結構と舌鼓を打つたのか。

 

 さて。初めて覚えたおもちの味は、砂糖醤油だつた。焼いたおもち。小皿に入れた砂糖に、醤油を垂らしたので食べたから、味つけの主役は砂糖と云つていい。それから御雑煮とおでんの餅巾着。寄せ鍋にも入れた。これは薄切り。さつと浸して食べる。私と家族はこれを“しやぶ餅”…しやぶしやぶ餅の意か…と呼んでゐる。正しい商品名は知らないけれど、薄つぺらなおもちを見掛けたら、試して損はしないと思ひますよ。水菜なぞをくるんで食べると、中々うまい。いやこの場合、(しやぶ)餅でなく、水菜や鍋つゆが旨いことになりさうである。

 

 かう書くと丸太は、おもちはそれ自体が旨いのではない、と主張してゐると思はれさうだが、決してさうではない。母親の友人が毎年、おもちを送つてくださつた時期があつた。越の國にお住ひで、記憶の補正を差引きしても、素晴しく美味しいおもちだつた。尊敬する吉田健一は、『私の食物誌』でわざわざ、「新潟の餅」の一節を用意し

 

 [餅には餅の味と匂いがある。これはカレーの匂いや天ぷらの味のように強烈ではなくて寧ろ仄かなものであるが、それが餅を餅というものにしていて新潟の餅にはその味も匂いもある]

 

と書いてある。詰りちやんとした糯米で、ちやんと搗けば、賞味に足るおもちが出來るのだなと解るのだが、おもち本來の味はひに就ては、吉田の一筆書きで必要且つ十分な気がする。

 まあ併し、その“仄かな味と匂”ひのおもちを贖へる機會には、さうさう恵まれないのも事實であつて、もしかすると平安貴族が食べたおもちは、近所のマーケットで特賣されてゐるおもちより、(糯米の品種改良を除けば)本ものであつたとも想像出來る。千年前に戻るのは、叶はない。確められないのは残念である。

 代りと云ふのも何だが、これからきつと寒くなる。令和七年末から令和八年初は、米処のおもちを食べませうか。それくらゐ贅沢をしても、殿上人から目をつけられる心配は要らないと思ふ。