2021-01-01から1年間の記事一覧
先に色々口八釜しさうなひとの為に書いておきます。 平成廿七年の七月十九日に撮りました。どこで撮つたかは云ひません。使つたのはパナソニックのGF1とシグマの30ミリ/F2.8の組合せ。ホワイト・バランスと露光はカメラに任せました。確めると、どうやらこの…
本格的な中國料理好きに云はせたら、餃子はたつぷりした皮に、具を詰め込んだのを、ソップ…タンで食べるのが正しいさうだ。我われが云ふ主食…ごはんに当るからね。かういふひとに、おれは焼き餃子が好きなんだと云つたらきつと、えらい目にあふ。あれはタン…
記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。 ロボットの警察官を作らう。 新鮮なひとの死体を部品にして。 といふ頭のねぢが何本か抜け落ちてゐないと出ないだらう發想で撮られた莫迦映画。わたしが云ふ莫迦映画だもの、褒め言葉なのは念を押すまでもない。 …
音樂と文學の分類ほど、あてにならないものはないが、シティ・ポップスと呼ばれるジャンルがあるらしい。もしくはあつたらしい。わたしはそれをこの唄で知つた。發賣は昭和五十四年だからほぼ四十年前、わたしは中學生になるかなつたか、それくらゐの頃にな…
記憶に残る旧い漫画の話。 荒木飛呂彦の名前を知つたのは、『魔少年ビーティ』でなければ『ゴージャス・アイリン』、或はこの漫画である。近い時期に別の作者の『コマンダーゼロ』や『機械戦士ギルファー』といつた打ち切り漫画があつて、いづれもわたしはフ…
始、 原形は西洋の料理にある。 日本の調理法による(時に大胆な)変更が施されてゐる。 ごはんとお味噌汁とお漬ものと一緒に食べる。 以上を満たす食べものを、この稿では(便宜的に)洋食と呼びたい。ごく簡単に、日本化した西洋料理と云へば済みさうな気もす…
記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。 宇宙冒険大活劇漫画映画。と云へば、この映画については八割方、伝はるのではないかと思ふ。 凄腕の"仕事屋"クラッシャー。 謎めいた依頼と美女。 それから惡辣な陰謀。 後はもう、判るでせう。 豪快なカー・チェ…
昭和五十九年…西暦で千九百八十四年に米國ロスアンゼルスで開催された五輪に出場した、体操のメアリー・ルー・レットンを観たわたしは、初めてアメリカ女性を可愛らしいと思つた。 二年後、エイス・ワンダーでデヴューしたパッツィ・ケンジットは、初めて可…
記憶に残る旧い漫画の話。 永井豪といふひとは、天才であつた。かう過去形で書くと怒られさうでもあるが、天才になる困難より、天才であり續ける苦難の方が遥かに巨きい。 ある夫婦の元に、鬼が赤ん坊を預ける。 赤ん坊は"天の手から与へられた子供"の意味で…
始、 落ち着いて考へると、とんかつをあてにして呑んだ記憶が無い。別に厭ふわけでもないのに。鯵フライやミンチカツで呑んだことはあるのに。とんかつと聞いて聯想するのは、ねり辛子と濃いソース、それから千切りのキヤベツとお味噌汁とたくわんに白いごは…
茄子を食べるようになつたのはここ数年である。要するに食べず嫌ひだつた。今もお漬ものは獨特の歯触りが駄目で、炒めたり焼いたりしたのでないと、旨いとは思へない。 最初に旨いと感じたのは、今はもうなくなつた定食屋で食べた"茄子の肉味噌炒め定食"だつ…
呑む時には食べる。といふのがわたしの原則である。麦酒やお酒や葡萄酒、或は焼酎泡盛ヰスキィでも、事情は変らない。但し絢爛豪華な満漢全席やガルガンチュワ的なフル・コースを求めてゐるのではなく、たとへばチーズの欠片とハムの端つこ、サラミや落花生…
ごはんと汁もの、小鉢、お漬ものの定まつた組合せに、主役のおかずを組合せて出される形式を、この稿では仮に定食と呼ぶ。さうではなくても定食と呼ばれることはあるが、残念ながら、例外にまで目を配る時間は無い。 定食の主役は前述のとほり、おかずである…
『麦酒は、(大麦の)麦芽、ホップ、水(後に酵母も追加された)のみを原料とする』 さう定めたのは、十六世紀初頭のバイエルン公ヴィルヘルム四世。麦酒純粋令と呼ばれる。五百年を経た廿一世紀でも有効で、現役の法としては世界最古の部類に入るのではないか。…
近年も日本人の箱庭好みといふ見立てはあるのだらうか。たとへば盆栽、たとへば懐石料理。或は袖珍本。もつと云へば軽自動車だつて、その括りに入りさうな気がする。我われ(のご先祖)はどうやら、巨きさに値うちを見出だすことが少いか少かつたらしい。 では…
某日、ニコンから新型機種…Zfcの發表がありましたな。 https://www.nikon-image.com/products/mirrorless/lineup/z_fc/ 詳しいことは上を見れば大体、解ると思ふ。尤もこの稿を書いてゐる時点では、發賣前だから、實機がどうなのかまでは、はつきりしない。 …
歳時記や廿四節気、七十ニ候に目を瞑り、勝手な印象で云へば、新暦の七月に入ると、夏になつたと感じる。八月半ばまで。九月くらゐまでが残暑。 例年、おほむねこの三ヶ月間は、頭が働かなくなる。そんなら残りの九ヶ月間は、頭が働いてゐるのか。そこはまあ…
『じゃりン子チエ』の作中では、"(だるま屋の)天プラうどん"で一貫されてゐて、何度も目にすると、旨さうな気がされてくるのだが、この稿では原則的に天麩羅饂飩とする。 種ものとして見れば、蕎麦の方が適ふと思ふ。 海老に貝柱。笹掻き牛蒡。春菊。枝豆。…
茹で玉子を偶に食べたくなる。こまる。といふのも、わたしは卵の買置きをしない…食べきれずに傷ますのは勿体無いもの…からで、茹で玉子を食べるのと、卵を買ひに行くのはほぼ一直線に結びつく。 三個。小鍋に置いて水をたつぷり張り、塩は入れず、弱火で。沸…
おねえちやんがゐる、あすこまで。
オムレツを焼くのは随分と六づかしいといふ。ここで云ふのは西洋風のオムレツ。映像で見ると、くるくるとんとん、なんてこともなささうにフライパンを操つてゐるが、くるくるとんとん操るだけで、溶き卵がアーモンドのやうに纏まるのだから、容易い技術の筈…
あと、三歩。
夏はエロチックである。 我が國詩歌の伝統を顧みるに、夏に唄ふのは、夜に吹く秋を思はせる風や、水面に映る月蔭の涼やかさである。『枕草子』にいはく。 夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかに…
北の杜へ。
食べものの味附けと称してよく解らないのは、サラダ味とバーベキュー味ではないかと思ふ。それぞれに何となく、共通する傾向はあるのだが、さてそれがサラダやバーベキューの味なのか知らと云へば、首を傾げざるを得ない。 スタミナ焼きはもつと解らんですな…
記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。 以前に『座頭市物語』で取上げてゐなかつたか、と思ふひとがゐたら、そのひとはこの手帖の愛讀者であらう。但し座頭市映画の愛好家ではないとも思ふ。"物語"の就かない座頭市は昭和六十四年に完成し、平成元年に公…
デジタル・カメラで撮つた、手元に残つてゐる最も古い画像の一群から。 平成十八年一月、東都は月島の片隅。 まだえらいと胸を張れるほど、ふるくはないかも知れない。
朝風に 紫陽花の葉の 滴かな 七いろに 移るあの娘の こころかな
空き腹を抱へ、潜り込んだ酒場で出てくる つんもり盛られた、熱い野菜炒め(肉入り) さて御同輩、ひとつ乾盃をば致しませうか
カップ麺といふのがありますな。 最近のは具だのソップだの何だのを小袋に分け、入れてあることが多い。實に面倒でいけない。 "よく混ぜてお召し上がりください"だなんて、添書が目に入つたりすると (どうしてよく混ぜなくてもいい風に作らないのか) と腹が…