2020-01-01から1年間の記事一覧
原産地は印度亞大陸の東部と云はれる。日本には遅くても八世紀の半ばまでには伝はつたらしく、天平六年(西暦だと七百卅四年)、天平勝宝二年(同七百五十年)の日附にその名が記されてあるといふ。もう少し遡つて、長屋王(八世紀初頭のひと)への進物にもあつた…
記憶に残る映画を記憶のまま、切れ切れに書く。 ■友達の家はどこ? 派手な爆發も情熱的な演説も驚異のコンピュータ・グラフィックスも無く、高名な俳優も劇的な物語も無いまま、美しく始まり、美しく終る。山の清冽な伏流水のやうな映画。 ■バベットの晩餐会…
記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。 かういふ云ひ方をすると、ファンから叱られるだらうと想像しながら云ふと押井守は好き勝手をさせてはいけない映画監督だと思ふ。駄作になるとは云はないが、映画は観客がゐて映画になることが、奥に押し込められる…
記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。 平成ガメラ三部作と呼ばれる三本の二作目。時系列で云ふと、前作『ガメラ 大怪獣空中決戦』の續き、次作『ガメラ3 邪神覚醒』の前日譚に当る。三作を順に観るのが一ばんいいと思ふが、どれか一本を撰ぶなら、わた…
記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。 世の中には奇妙な行動に熱中する人物がゐる。 この映画の主人公である"ちびのフランス人"ジャックとイタリー人のエンゾもさうで、かれらは少年の頃から、潜るといふ行為に取り憑かれてゐる。何の為に?最初は珊瑚…
記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。 確か創元推理文庫版で讀んだ。この映画ではアルバート・フィニーがエルキュール・ポワロを演じた。どうもポワロと云へばデヴィッド・スーシェの顔に、熊倉一雄の聲の印象が強く、フィニーの名前を思ひ出すのに少々…
記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。 座頭ノ市といへば勝新太郎の大当り役だが、實在の人物がゐたらしい。子母澤寛の随筆だかに書かれてゐるさうで、そつちは讀んでゐないから、この映画の主人公と同じかどうかは知らない。きつと全然ちがふのだと思ふ…
『古今集』巻七は賀歌で、巻頭に詠人知らずとして収められてゐるのが 我が君は 千代に八千代に さざれ石の 嚴となりて 苔のむすまで の一首。上の二句が"我が君は 千代にましませ"や、"我が君は 千代にや 千代に"となつてゐる冩本もあるさうで、変化をした事…
確証を得たわけではないからその辺りはさて措くとして、昭和廿七年、東京荒川は南千住の某店生れが有力なのだといふ。コッペパンと焼そばを賣つてゐたところ、お客から 「面倒だからサ。麺麭に挟んでサ。一緒にしちやつてヨ」 と註文を受けたのが始まりといふ…
厳密な定義附けな表示についてはややこしいから省くとして、泡盛で三年以上、貯藏したものは古酒…"くーすー"と呼ばれる。古酒だと無愛想なのに、くーすーだといかにも旨さうな響くのは不思議だが、そこが言葉の妙なのだらう。 と書いて不思議に思ふことがあ…
五年前に撮つた一枚。 まだこの手帖を書き出す前。 ほーう。
ちよいと寄り道。 ささつと一ぱい。 かけを、おくんなさいな。
『料理のお手本』 辻嘉一/中公文庫 "お手本"とはまた思ひきつた題を附けたものである。仮にわたしが"文章のお手本"などと附ければ、袋叩きにあふのは間違ひない。併し世の中には少いながらも、"お手本"を書ける…書いても不思議ではないひとがゐるもので、こ…
定食を平らげ、その辺を歩いてから。 夜はおでんと焼鳥で、地酒を一ぱい。 もしかすると、二杯か三杯も。
迷ふのも、味のうち。 罐麦酒を、片手に持つて。
世界史を俯瞰して、何となく好きなひとをひとり挙げませんかと訊かれたら、わたしは多分、カエサルの名前を出す。洋の東西を問はず、尊称が個人と結びつく例は、三藏(玄奘三藏)や大師(弘法大師)で見られるけれど、苗字が個人を指し示す例は少ないと思ふ。こ…
迷惑。 と断ぜられない我が心の弱さ。
尊敬する内田百閒は日に一ぺんしかお膳につかなかつた。本人がさう書いてゐたもの。正しそれは一日一食でなく、お膳を用意して食べるのが一ぺんの意味。朝は英字ビスケットやら果物と牛乳、晝はもりかかけ(麦めしに塩辛い鮭や梅干やたくわんのお弁当を用意し…
ある晩どうしても焼き餃子が食べたくなつた。かういふ突然の慾求はたちが惡い。 近所のマーケットに行けばパックに入つたのを賣つてゐるがそれだと寧ろ我慢出來なくなるだらう。 冷凍ものを食べる気持ちにもなれない。 無理をして我慢して食べると腹が立つて…
『梟の城』司馬遼太郎/新潮文庫 天正九年…西暦でいへば千五百八十一年、伊賀の忍びは織田信長麾下の軍勢に擂り潰された。伊賀天正ノ乱と呼ばれる戰である。辛うじて生き延びた伊賀衆が信長にうらみを抱いたのは云ふまでもない。併し伊賀忍は自らの手で本懐を…
歴史的仮名遣ひの表記である。發音は"io"、漢字で書くと五百。音は五(i)/百(o)に分解出來る。五百羅漢なんて云ひますな。この場合、はつきりした数といふより、漠然とした大きな数字と考へるのが正しい。 ある俳人が自撰の句集に『五百句』と附けておいて、…
我われのご先祖はエロチックな話題が好きだつたし巧くもあつた。前者は今でも同じとして、後者はさて、どうだらうか。卑語を使はずにさういふ話をする為、ご先祖は和歌狂歌や發句川柳を活用した。詰り何かにかこつける思はせぶり…暗喩の技法である。といふこ…
日本人はどうして忠臣藏を甚だしく好むのだらう。その疑問に、丸谷才一は"御霊信仰"と"カーニヴァル"といふ一見よく判らない組合せで、併し鮮やかな解を示した。詳しいところは『忠臣藏とは何か』をご一讀あれ。納得するかどうかは別として、何故を突き詰め…
モンゴル帝國がロシヤの広範囲を支配に置いたざつと二世紀半を、ロシヤでは"タタールの軛"と呼ぶ。司馬遼太郎の云ふ遊牧帝國の群れが、暴風雨のやうにユーラシアを駆け抜けた時代と云つてもいい。軛と呼ぶ以上、ロシヤ人にとつて、誇らしい歴史ではない。但…
永井豪といふ漫画家がゐる。元天才。かう書くと激怒するひとも出るだらうが、天才にすらなれない漫画家が殆どの世界で、天才であつた事實は凄いことなのだと云つておく。序でに讀むなら、『デビルマン』(但しオリジナル版)は勿論、『手天童子』にも目を通し…
筋肉少女帯のアルバムで一ばん完成してゐるのは『サーカス団、パノラマ島へ帰る』ではないかと思ふ。ことに冒頭、[ビッキー・ホリデイの唄]から[詩人オウムの世界]は大槻ケンヂの猟奇好み、乱歩趣味がちやんと唄物語になつてゐる。今確かめたら發賣は平成二…
涙の雨が降る天球儀の中を、走れ君のレイン・コート、さう呼び掛けるのである。 (これはもう、ジュブナイルではないか) ジュブナイルとは何ぞやと訊かれたら応じるのは六づかしいが、少年の冒険小説…いや冒険の物語と(ここでは)(一応)云つておかう。今でもあ…
古代のローマ人は個人の名前に無頓着だつた。たとへばセクストゥスを日本語にすると六郎くらゐの意味。そのくせ渾名は好きで、アフリカヌス(大スキピオ)やフェリックス(スッラ)、マーニュス(ポンペイウス)辺りは有名でせう。外にもファビウス(愚図、鈍間が転…
串焼きは以前から好物である。 以外と古くない調理法ではないかと思ふ。串はそのまま、肉や魚や貝や野菜を焼くには、火力の適切な調整が必要で、 さういふ設備を調へるのは困難だつたらうといふのが理由のひとつ。串を焼かず、肉や魚貝や野菜に火を通すには…
麦酒。お酒。葡萄酒。焼酎。泡盛。ヰスキィ。ウォトカ。わたしが主に呑む酒精はおほむねこんなところで、念を押すと葡萄酒にはシェリーやコニャックも含まれるし、焼酎は黒糖米麦芋を纏めてあり、ヰスキィにはアイリッシュもスコッチも入つてゐる。それぞれ…